南ア南部 前聖岳、奥聖岳 2007年8月17日〜18日

 


 今年のお盆休みは仕事の関係で中盤が仕事で休みが2分され、前半はくそ暑かった黒部奥地に入って懲りたので、後半は標高が高いところに涼みに行くことに決めた。日程は3日あるが、天気予報では最終日の日曜には前線が南下して全国的に雨の予報なので2日でまとまる行程とした。場所の選定であるが、本来なら未踏がいくつもある穂高にしたいところだが、この好天気のお盆ではめちゃ込み確実で上高地に入った時点で地獄だろう。あとは未踏はほとんどないので涼めればいいのでどこでもいいが、前線の接近が最も遅いと思われる南ア最南部の聖辺りが最適だろう。ネットで道路状況を調べたが問題ないらしく、お盆休み終盤なので駐車場も満杯ではないだろう。

車中泊が有料とは珍しい 聖光小屋駐車場。車中泊しなければ無料

 

 仕事を終えて早速出発、今回は遠山郷が登山口なので高速道路から遠く時間がかかる。所要時間は大差ないと考えて高速料金節約のために諏訪ICで降りて国道152号線を南下、夜なので対向車接近が前もって分かるため安心して飛ばせるので、おそらく昼間よりも所要時間を短縮できただろう。東京をPM6:30に出発して便ヶ島へはPM11:45に到着した。パッキングを始めようとすると聖光小屋の管理人と思しき男性がやってきて\500を徴収された。ここは車中泊で金を取られるのは知っていたが、今年は聖光小屋は休業と聞いていたのでちょっとビックリ。お盆の時期だけやっているのかもしれない。なお、車を置くだけなら無料である。途中の道の悪さが別世界のような舗装された駐車場だった。

登山口 西沢渡。篭を使わなくてもl渡渉可能

 

 翌朝、ヘッドランプが要らない明るさになってから出発、先行者が続々と出発していくので登山口に迷わなくていい。10数年前に仲間と聖〜光の縦走でここを歩いたはずだが、当時は聖光小屋ではなくその前の小屋で今とは様子が違ったし、そもそもそのときの道の様子はまるで記憶が無い。覚えているのはやたら荷物が重かったことと(パーティーの大半の食料は私が担いだため)、西沢渡は篭を使わず普通に渡渉したことくらいだ。

 最初から森林鉄道跡を歩くのかと思ったら山道で、ジグザグに上がると林道に出る。これが森林鉄道跡だ。短いトンネルをくぐるとほぼ水平な道が続き、沢には立派な橋が架かっていた。西沢渡では3名の登山者が篭を使って対岸に渡る順番待ちだったが、水量はさほどではなく上流の砂防ダム下に適当に続く石があって簡単に渡ることができた。ここが最後の水場なので少し水を汲んでおく。

 うっすらと記憶がある造林小屋を過ぎると本格的な登りが始まり、まだ標高が低いので汗が噴出す。こういうときのために団扇と濡れタオルを準備してきたわけだが、まずは団扇のみの登場である。風が無いときには効果が大きく相当涼しく感じることができる。こんな姿は山の中で見かけることは無いが、標高が低い場所では軽くて便利なアイテムである。

造林小屋。一応雨風はしのげる 鹿の食害。たくさんあった

 

 さすが百名山の登山道だから、先週の黒四ダムから真砂沢ロッジの道と違って半ズボンでも足に触れる草木はなく快適だ。登山道は大体尾根上に付けられているが、急な部分は南を巻いたりして一般登山者に優しい道になっている。こういう区間では冬道だろうか、尾根上にも踏跡があった。標高が上がると広葉樹林から針葉樹林に変わり、気温も徐々に下がってきて歩いても大汗をかかなくて済むようになり快適だ。鹿のヌタ場と思われる水溜りや鹿に皮をかじられたシラビソもあり、鹿が多いようだ。そういえば林道走行中に何頭も鹿を見たな。

南アらしい苔むしたシラビソ樹林 薊畑分岐

 

 高度計の表示が2400mに近づいたところで傾斜が緩み、ガレの上部に出た。ここが薊畑で聖平と聖岳の分岐点である。この先は3年前の聖東尾根で歩いているので記憶に新しい。あのときは10月でほとんど人がいなかったが今は賑やかでデポしたザックも多い。今の時刻は9時ちょっと過ぎで、このまま聖平に下ってテントを張ってもあまりにも暇な時間が長すぎるし、今日は体力が余ってまだまだ疲労を感じないし、今は曇っているが高い雲で聖山頂での展望が期待できること、ネットの天気予報では明日朝は南ア南部は雨だったので、今のうちに登っておいたほうがいいだろうと判断してアタックザックで山頂に向かうことにした。なお、便ヶ島から聖山頂までの累積標高差は約2000mであり、健脚ならば日帰り可能だが、今回は避暑も兼ねているのでわざわざ1泊にしたのだった。今回の山行では日帰りの人を見かけたが、大ザックを背負った私と同じスピードで歩いていて、こちらがアタックザックに変わってからは見えなくなってしまった・・・・。

薊畑から見た聖岳 薊畑なのにアザミじゃなくマルバダケブキだらけ
小聖直下で森林限界を抜ける 小聖岳

 

 薊畑には名前の薊はなく、花が咲いたマルバダケブキがたくさんあったのは前回と変わらない。ダケブキ平に名前を変更した方がいいかもしれない。いったんピークに登って僅かに下り、小聖への登りの途中でいよいよ森林限界を超えて岩稜帯に入るとアルプスっぽくなる。小聖岳は顕著なピークではなく肩の様な平らな山頂で、山頂標識がなければそれとは知らずに通過してしまいそうな場所だ。やや風が出てきたので腕カバーをしてちょっとだけ防寒。これから少しの間は水平移動なので体が冷えそうだが、最後の登りにかかればこの風が心地よく感じるだろう。

小聖岳から続く稜線 いよいよ最後の登りにかかる

 

 途中の水場は今は枯れていたが、500ccペットボトルを持ってきたから問題なし。いよいよ最後の登りだが、小さなアタックザックでは足取りも軽く足が出るのに任せて快調に飛ばす。時間が時間だけに登っている人より下ってくる人の方がずっと多い。薊畑から往復していると思われる軽装の人よりは、メインザックを背負った兎岳方面から縦走してきたと思われる人の方がずっと多い。聖〜赤石間は人が少ないはずだが、今はお盆だから1年で一番多い時期なのか。

聖岳山頂(翌朝に撮影) 聖岳から見た奥茶臼山
聖岳から見た小日影山 聖岳から見た南側
聖岳から見た南ア深南部(クリックで拡大)

 

 岩稜帯をジグザグに登りきると前聖の一角に到着、3年ぶりの山頂からは前回と同じく赤石岳がでかでかと見えていた。あまりにでかすぎてこれより北側のほとんどの南アの山を隠してしまって、姿を見せているのは仙丈ケ岳と僅かに頭を出した塩見岳くらいだ。南嶺は這松尾から南が姿を現している。昨年秋に登った南ア深南部も良く見えており、大根沢山のドーム上の丸いピークが一番目立つ。その奥には小無間から大無間の高い稜線。イザルガ岳の左には信濃俣が頭を出している。池口岳の横の尖ったピークは鶏冠山北峰らしい。中アは既に雲がかかり始めており、その奥にあるはずの木曾御嶽は見えず、北アは乗鞍と槍穂までは雲がかかっていなかったが、それより右側に見える山並みは雲の中だった。

奥聖岳に向かう 奥聖岳山頂。背景は前聖岳
奥聖岳から見た聖岳東尾根。はっきりと踏跡が見えた 東尾根入口のマーキング

 

 最初は高曇りだった天気も徐々によくなり、やがて快晴になって風も弱くなった。おそらく曇ったままだろうと予想して薊畑に麦藁帽子を置いてきてしまったのは失敗だった。日焼け止めもメインザックの中だが、長時間山頂にいるわけではないので悲惨な目にはあわないだろう。せっかくなので奥聖岳を往復、東尾根の様子を観察すると稜線上にははっきりとした踏跡が見えるし、入口には赤い矢印が出ているので前回同様迷うことはなさそうだ。今回は便ヶ島から入ったからここを下山するわけにはいかないが、機会があったらまた歩きたいところだ。

 そろそろ下るかという頃に明治大学山岳部(MAC)が大ザックに大鍋をくくりつけた姿で兎岳方面からやってきて、山頂で校歌を歌いだした。MACといえば立山の裏側にあるクズバ山の途中で赤布を見たような気がする。山岳部なのでリスクがある岩山、雪山もやっているはずで、夏の南ア縦走は体力的には苦しいだろうが危険は少なく気楽かもしれない。彼らは広河原から入ってとんでもない重さの荷物を背負ったまま北岳バットレスを登って南アを南部に向かって縦走、今後は茶臼〜光〜百俣沢ノ頭〜寸又林道〜寸又峡温泉と歩くそうだ。あの林道、長いぞ〜。今の時期は暑いしなぁ。

聖平向けて下る 聖平小屋。旧小屋は取り壊されていた

 

 展望を充分堪能して下山開始、軽い荷物なので快調に飛ばして薊畑へ。もうお昼なのでこれから聖山頂に向かう人はあまりいなくて、みんな便ヶ島から登って聖平へ向かう人だった。聖平の小屋のテント場はガラガラで、まだ5,6張しかなかったので適当な場所に張った。料金は\500/1人。すぐ横の沢で濡れタオルで体を拭けば快適だ。南アのテント場は水が豊富なので水浴びできて大助かりだ。お昼を過ぎてガスが上がってきて太陽の方向に雲がかかり涼しく、昼寝も快適だった。夕方になって酒を飲んで寝た。この日は夕立はなかったが、予報では明日朝はこの付近だけ局地的に雨が降ることになっていたが、はたしてどうなるだろうか。

 翌朝、3時前に置きだしてテントから顔を出すと、一面の星空ではないが所々に星が瞬いているので雲の隙間から青空が出ているらしい。雨の心配は無さそうで安心して飯を食べてテント撤収、まだ真っ暗な4時前に出発した。雲の中に入っているようで周囲にガスが流れヘッドライトの光が遮られ視界が狭いが、何度も通った道なので歩くのに問題はない。ただ、このガスが時間経過とともに晴れるのか、逆にこのままで山頂での視界も無いのか予想はつかない。ただ、このまま下山してもあまりにも早く下界に到着して涼む時間が短くなるだけなので、ガスが晴れることに掛けて山頂へ行こうと思う。

雲の層を抜ける 南側は雲海。光岳も雲の中

 

 薊畑でアタックザックに荷物を積めていると小屋を出発したと思われる後続部隊も到着、まだ薄暗いのでヘッドランプを点灯させて準備している中、私が先頭で出発だ。いや、正確には先行者がいるかもしれないが、樹林帯なので光は確認できない。軽装なので昨日の疲労も感じることなく順調に歩き5時前になってヘッドライト不要な明るさになるがまだガスの中だ。森林限界を突破する頃になると時々ガスが切れるようになり、聖岳への最後の登りにかかると雲の層を抜けて晴れの領域に入った。やれやれ、これでわざわざ2回も聖山頂に登るかいがあるというものだ。

聖岳から見た赤石岳 聖岳から見た木曽御嶽、中ア、北ア
聖岳から見た槍穂

聖岳から見た中央アルプス(クリックで拡大)

 

 稜線に出ると先行者が1人だけ。風がやや強く寒いので持ってきた防寒装備を着て展望を楽しむ。昨日雲がかかっていた中ア、御嶽はすっきり見えているが上河内岳から南ア深南部は雲の中に沈んでいた。北側に続く南ア稜線も最初は雲が絡んでいたが徐々に姿を現した。昨日の展望と合わせてこれだけ見ることができれば満足だ。暑い下界へと帰ろう。

 薊畑で大ザックを背負って樹林帯を快調に下っていくと徐々に気温が上がって汗が噴き出してくる。これを登ってくる人たちは大変だなぁ。もうお盆休みは終わりだというのに次々と登ってくる。もっとも、今日は土曜日だから1泊なら問題ないが。西沢渡で汗をぬぐってさっぱりしてから残りの歩道歩き。聖光小屋駐車場でテントの虫干しをしながら着替えを済ませた。

 東京への帰り道は長く、しばしガタガタの林道走行だ。聖岳山頂で出会った男性が林道を歩いている可能性もあり気を付けながら走っていると別の単独男性が林道を歩いているではないか。こんな長い林道を歩くのはきついので当然ながら乗せていくことにする。話を聞くと宇都宮からやってきて、夜叉神峠から入って鳳凰三山→早川尾根→甲斐駒→仙丈ケ岳→両俣→北岳と歩き、あとは延々と光岳まで縦走し、最後は寸又峡まで歩くか遠山郷まで歩くかを比較して距離が短い遠山郷に決めたという。近いと言っても常識的には遠いけど。宇都宮まで帰るとのことで、こっちは高速代節約のため飯田に出ず国道を北上して茅野で中央線に出るので、そこまで乗せていくことにした。その先まで乗せていってもいいのだが、状況を見ながら高速に乗るつもりだが、大渋滞にはまる可能性を考えると茅野で電車に切り替えた方が確実に早く到着できるだろう。その前に「かぐらの湯」で汗を洗い流すことは忘れない。

 茅野で客人を降ろしてから高速に乗ったのはいいが、予想以上の大渋滞で笹子トンネル手前からつかえてしまい、初狩PAで仮眠して渋滞が解消してから再び動き出した。

 

所要時間

8/17
便ヶ島−0:39−西沢渡−1:17−約1700mで休憩−1:44−薊畑−0:33−小聖岳−0:39−前聖岳−0:10−奥聖岳−0:15−前聖岳−0:23−小聖岳−0:23−薊畑−0:14−聖平(幕営)

8/18
聖平−0:24−薊畑−0:35−小聖岳−0:44−前聖岳−0:29−小聖岳−0:21−薊畑−1:24−西沢渡−0:31−便ヶ島

 

 

 

 

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