奥日光 錫ヶ岳 1992年9月12〜13日

 

※この記録を書いたのは1992年で2005年に一部改訂したものを掲載しています。現在とは藪の状態等が異なっていることが予想されますので、ネットで最新情報を検索することをお薦めします

 

 錫ヶ岳は今まで登ってきた山とは格が違う。まず、岡田さんの本を除いてどのガイドブックにも掲載されていない。「足尾山塊の山」によると錫ヶ岳は足尾山塊の縦走路の一部として存在し、単独で登るような道はなく日光白根山からの縦走しかないとされている。縦走するにもエスケープルートは鋸山から庚申山のルート、六林班峠、奥袈裟丸から郡界尾根コースだけで、他はバリエーションルートしか無いので縦走を試みるパーティーも年に数えるほどしかないと言う。そのために踏み跡は薄く、薮が深く、ベテラン登山者でなくては危険な山だ。「群馬の山130選」では皇海山の不動沢ルートを「熟達者向け」としているからおそらく錫ヶ岳は「超熟達者」向けといったところだろうか。

 厳しさでは他の高山を圧倒するこの山も、武内さんの報告で日帰り可能だと判明した。なんと西の湖から廃林道が延びており、その先には赤テープの頻発する、邪魔な枝は刈払われている山道が存在するというビッグニュースだ。ただし、それを知ったのは武内さんが登ってから数年後であるが。YAMAルームの住人は藪山派ばかりだったので影響を受けて藪山を登るようになったが、さすがに錫ヶ岳は別格で簡単に手を出せる山ではなかった。そんなときにアマチュア無線の集まりで川名さんという知り合いと再会し、川名さんから錫ヶ岳に行かないかと誘われた。もちろん2つ返事でOKを出し、実行に向けて準備を進め、川名さんの車で西ノ湖駐車場に入った。

 朝は目覚ましで一発で起床、朝食を済ませて準備も終わっていよいよ出発、出発前に今回の山行から取り入れた計量を行う。今まではいったいどのくらいの重さの荷物を背負っているのかはっきりと測定したことがなく、分からなかったので先日バネばかりを購入してきたのだ。まだ水を汲んでいないので実際は途中で3kg程度重くなるだろうが今のところの重さは二人とも13kgであった。ただ、私はおまけでアンテナポールも持っているのでこれを合わせると15kgくらいになる。

 早速長い林道歩きを開始だ。閉じたままのゲートの脇から林道へと入る。カラマツ林の良好なダートが続き、真新しい砂防ダムも現れる。そこを過ぎると道が荒れてきて、川側が大きくえぐれている所があって車ではここまでしか入れない。さらに進むとさっそく笹が出現、もう立派な廃林道だ。左手に大きく沢が広がって下る道が出現し、向こう岸に渡って廃林道に入るのか?と思われる地点があって、対岸に護岸が見えている。しかし、まだ先に道は延びていてそのまま進んだが突き当たりになってしまった。本当はここの左側に橋がかかっていたのだが現在では跡形もない。その代わりに誰かが丸木橋としてかけた物か、はたまた流木が偶然そこに引っかかっただけなのか分からないが、一本の木が沢に渡してあった。

 川縁に下って石の上を渡ろうかとも思ったが、せっかくだから木の上を渡ることにした。関東地方は今年の夏は記録的な渇水だったから他のYAMAルームのメンバーがこの沢を渡ったときと比較して水量は非常に少ないはずだ。現に今ならたとえ沢に落ちても被害はたいしてないと思われる程度しか流れていない。というわけで木の上と石を併用して歩いて対岸に渡った。

 対岸には道が沢の上流の方向(右)と、その逆の方向(左)と両側に分かれているが本道は左側である。川名さん一行は前回はここで間違えて右に行ってしまい時間をロスったのだった。ここから廃林道が始まる。まだ車で走れそうな所もあるが多くの所は大小の落石があり、またこの林道を開通させようとするとかなりの費用と時間がかかりそうだ。沢が道を横切る所はどこでもひどく崩壊している。出発してから1時間が経過するので休むことにしたが、どうせなら見晴らしの良いところまたは水のあるところにしたかったから、もうしばらく進むことにした。道が大きく左に曲がるところに小さなコンクリートの橋がかかっていて、本来ならその下を沢が流れているはずなのが土砂で埋まって橋の上を水が流れているところがあり、そこで休息することにした。沢の水は冷たくておいしい。

 ザックを下ろして休みながら赤地さんの山行録を取り出し復習する。今回はだいぶ助けてもらった。今の時代(2005年)ならインターネットで検索をすれば錫ヶ岳の記録がいくつも発見できるが、1992年当時の日本国内はインターネットは影も形もなく、「パソコンヲタク」が有線モデムで「パソコン通信(文字だけの通信。今で言えばメールと掲示板か)」をやっている程度だったので、情報源と言えば書籍しかなかった。その書籍に錫ヶ岳が無いのだから、YAMAROOMの情報は貴重だった。

 

宿堂坊山登山口

 さあ出発。すぐ先にこの林道唯一の真面目な橋があって”第14号橋”と書いてあり沢の上流側には巨大な石がよりかかっている。橋の手すりは無惨にひしゃげているが本体の方は巨岩の直撃にも耐えたようだ。林道は山肌を巻くように登っていき落石と潅木を避けながら進むと下にさっき歩いた林道が見えるようになる。この先に中規模の崖崩れがあるが岩がごろごろ積み重なっているので特別歩くのに支障はないが、それと隣あうように発生している崖崩れはたちが悪い。武内さんが高巻きしたと言う崩壊場所だろう。砂が主体で靴の摩擦が効きにくく、凍結していると渡るのに苦労するのもうなづける。注意しながら道路の端を岩につかまりながら無事に通過、わずかで宿堂坊山の登山口だ。前もって情報をもらって行かないと見つけられないかも知れない。一応赤テープは巻いて有るが文字がほとんど消えた小さな白い標識があるだけだ。ただ、山肌に踏み跡が見えるので気がつくかも知れない。ここも怪人3人衆が登った山なのでいつか登ってみたい。

 なおも廃林道を進む。まだ標識、カーブミラーは健在で、警笛鳴らせや落石注意、うねうね注意?(道が曲がりくねっているマーク)などが笹薮の中から顔を出している。車で走れそうな所もあれば完全に崩壊して人間が歩く幅を残して谷に護岸ごと崩落している箇所もある。鹿の影が濃くなって笹がガサガサ揺れることが多い。数カ所、焚火の跡があったが、周りに散乱している空き缶は凄い赤錆だから、林道が使えた時期の跡なのだろうか。沢に近い所だから幕営もできるが、こんなところではまだ山頂に遠い。

 さらに1時間ほどして右側にコンクリートブロックを積み上げてできた建物が現れた。マストも立っているがアンテナは付いて無くて避雷針だけだ。たぶん機器も入っていないのだと思う。笹薮に囲まれていた。ここで休憩して周りを眺める。北側に見えるのは外山だろうか、それとも前白根か、山頂付近は岩場のようで茶色い。南に見えるのは宿堂坊から続く県界尾根だろう。目の前の山はまだ県界尾根ではなさそうだ。中腹に道らしき物が見える。佐藤さんで3時間かかったのだからまだまだ1時間は歩かなければならない。

 

廃林道から見た錫ヶ岳

最後の水場

 このすぐ先に沢が流れていて”暗渠”になっていた。ここがきっと赤地さんの言う最後の水場なのだろう。2時間以上無駄な重荷を背負わなくて済んだ意義は大きい。赤地さんに最大級の感謝だ。ところが、このすぐ先にまた沢が流れていてこっちが本当に最後の水場だった。ドラムカンが転がっていて木には赤テープが付いていた。この超渇水期でも充分な水量があるのだから1年中利用可能だろう。かえりにもっとテープを着けて目立つようにしておこう。しかし、さきほどの水場とはけっこう近いからあまり損をしたと感じるほどではない。

 

 この後もさらに林道が続くが高度が上がってきて中禅寺湖も見えてきた。やがて山腹を巻いて北側に回り込むととうとう念願の錫ヶ岳が見えた。ここからだと近そうに見えるが予定では最低あと4時間歩かなくてはならない。みんなを苦しませた2241m峰もその左に見えている。ここから見ると錫ヶ岳との間はそれほど高度差がないように見える。登りの斜面は若草色で気持ちの良い草付きの様に見えるが実際は胸程度の高さの笹の薮なのだ。このときはそんな事は分からない。せめて気持ちの良い丈の低い笹原だとしか考えなかった。

 やっと長い林道にもお別れだ。西に向かっているのが南に曲がると突き当たりで広くなり終点だ。目の前に木には赤テープが巻いてあり、武内さんが巻いていったソックスバンドも健在だが黒く変色している。休息をとっていよいよ県境尾根に挑戦だ。水を飲んで足元を整え直した。どうも右足の踵が痛んでいたので靴をぬいてみるとやはりまめが出来ていた。出来てしまってからでは遅いが処置をしないよりはましだからさらにテーピングを施した。

 いよいよ山道に踏み込む。まずは目の前の小さな尾根目指して短い笹の中の踏み跡を登る。まだまだ薮ではない。なるほど、要所要所には赤テープまたは赤い布がぶら下がっているが、私のような普段はまともな道を歩いている人間にとってはしつこいという感じはしなかった。いきなり傾斜はきついが標高差20mくらいでほぼ水平になり西へと向かう。道の状態は普通の山道と何等変わりがないくらい、踏み跡はしっかりしているし邪魔な枝等は刈ってある。この分では夏の間も整備をしたのだろうか。全く道の方には薮は進出していない。どうやら毎年この道は手入れされているようだ。稜線近くにあると言うロボット観測機材がある限り安心だ。

 水平移動が終わると本格的な登りが待っていた。笹が出てくるが道の所はしっかりと刈られている。所々で見晴らしが効くところがあり宿堂坊山がむっくりとした頭を出しているのが見える。最初は向こうの方が高かったのがぐんぐん高さの差が縮まってくるのが分かる。倒木が横たわっているところで数分間立ち止まって休憩し、再び喘ぎながら急な坂をよじ登り、傾斜が緩くなって県境尾根か?と思ったらまだ先だ。しかし木の間を通して見える稜線はもう目の前で、そこまで行けば半分歩き終わるのだ。この先は2077m峰直下まではしばらくは水平移動、枝尾根の真上を道に沿ってずっと歩くことになる。鹿のヌタ場があったが水の痕跡だけで干上がっていた。もしかしたらここが赤地さんが”ミネラルウォーター”を補給したところか。

 再び登りになり目印を追う。ピークてっぺんに向かってしまっているような気がしたが、倒木を境にしてそのうちに右に巻くような感じで道が進路を換え左からの足尾山塊縦走路と合流した。こっちの踏み跡もここでははっきりしていたが、その先は補償の限りではない。道は少々下って鞍部へとたどり着いた。周囲は原生林に囲まれ薮はなく、下は水平で広くなっているのでテントを張るには良い。ちょうど12時少し前、川名さんがラジオを取り出してニュース、天気予報を聞きながら昼食にした。天気は曇り時々晴で今はわずかに太陽が雲の間から顔を覗かせている。気温は低くて体を休めていると寒いくらいだ。この後は薮との格闘でTシャツでは腕が傷だらけになるだろうから長袖にしなければまずいであろう。そこでTシャツをぬいで近くの枝に引っかけ乾くところまでいかないだろうが干して、代わりに厚手のシャツとセーターを身につけた。お握り3個を食べると腹いっぱい、元気も出てくる。気温が低いおかげで水はそれほど消費しなくて二人合わせて6リットル弱で十分間に合うだろう。赤地さんの水不足と比べれば申し訳ないくらいだ。

 さあ、出発だ。予定としては2241m峰の上か鞍部で休んで山頂に達する。今およそ12時半だからもしかしたら15時前に到着できるかも知れない。それは道の状態次第だが・・・。赤地情報によるとこの先で赤テープは稜線から離れて左に巻いてしまうようだ。ここは貴い犠牲者?の情報をしっかりと活用して第2の犠牲者にならないように気をつけよう。私が先頭だから道をまちがえたら責任重大だ。周囲の地形をよーく確認しながら注意深く進む。まず最初に小さな急坂を登るがここはまだ稜線をはずさない。ここから緩く登って行くのだがその先が問題の場所だ。ツガ、ダケカンバの林の中で赤テープは明らかに稜線をはずれて左の方に入っていく。右を見ると踏み跡と、遠くには赤テープも付いているが左の道よりも薄くて良く注意しないと騙される。

 いよいよこれからが薮が深くなる領域だが、2150mの尾根までは原生林の中で踏跡もはっきりしている。ただ、赤テープの数はめっきり少なくなりちょっと不安になる。このくらいなら楽勝だと思っているうちに傾斜も緩くなり道も薮っぽくなってきた。稜線上の木の高さが低くなってきてくぐるのに苦労するようになるが、踏跡はほぼ稜線の真上に続いている。西側は薮のために良く見えないが比較的急に落ち込んでいるようだ。逆に東側は比較的なだらかであるが深い笹薮である。

 稜線の樹林は低いから体の高さに枝が張りだしてザックやアンテナ、ポール、テントマットが引っかかってろくに進めない。引っかかった枝に引き戻されること数知れないほどだ。そのうちにツガの幼木が密生している中を踏み跡が通っているところまで出現した。荷物が少なければくぐることも可能かも知れないが、私達の装備ではそんなの不可能だ。そこで東斜面の笹原に逃げると今度は踏み跡も何もないから泳いでいかなければならない。それも自分でかき分けた笹の上に乗っているからツルツル足元は滑ってコケるし、足を進めるのにも笹の抵抗が大きく疲れる。しかたないから稜線に戻って強引にツガの中を抜けようとするとそれこそ助走をつけて勢いよく抜けないと押し戻される。テントマットはボロボロになってしまった。

 

2150mピーク付近から見た錫ヶ岳

 ここまで来ると木の高さが低いから見晴らしも良くなる。稜線から少しはずれて西側に出ると西の斜面はツガの幼木で覆われていた。西側には大きく笠ケ岳が見え、その右には今日の宿泊地、錫ヶ岳がすぐ近くにそびえていた。こちらからもピークが3つあるのがよく見える。あの稜線はこの時期に歩けるだろうか?少なくとも木が生えているからここのような薮は有るだろう。ただ一人、残雪期であるが歩いたことのある佐藤さんの情報によると稜線は薮が濃そうなのでちょっと難しいだろうとの回答だった。

 薮の中を漕いだり笹に逃げたりで2241m峰の直下までたどり着くと、原生林の中を歩くようになり笹からは解放されたが、逆にどこでも歩けるようになったために道が怪しくなる。所々に目印は付いているがどこを歩いても同じようでザックが引っかからないところを選んで登っていく。ツガに捕まりながらの急登でなかなかハードだった。この辺りで赤地さんは1日目の錫ヶ岳を諦めたのであろうか。少し東に逃げるように登るとマシな道が通っており、どこかで道をはずしたようだ。赤テープはそのルート以外にも付いているからたちが悪い。ここから先は各自の判断で歩き易いところを見つけて行けば大丈夫だと思う。とにかく稜線を外さないことだ。

 やっと傾斜が緩くなってピークにたどり着いた、といっても薮の中で周りは全く見えないし休む場所も無い。ピークから鞍部へは稜線を東に外して笹の中に道が通っている。鞍部は笹原になっているがその上に座って最後の休憩だ。もう錫ヶ岳は目の前であるが標高差の割には立ちはだかるように大きく感じる。この先の道は疎林の中で笹も深そうだ。目をこらして赤テープ、赤布を探さないと・・・。

 10分間の休憩の後、最後の登りに出発。残りの標高差は約150m、普通なら30分もあれば楽々行けるだろうがそうは問屋が卸さない。笹が猛烈に深く、登りの方向では笹が”逆目”になり体力を消耗する。道があるのかどうか全く分からず目印だけが頼りだ。武内さんは普段からこんな所を歩いているのか、と思うと”怪人”と呼ばれるのにふさわしい人だなと感じた。

 やがて林の中に入ると笹が無くなり足元すっきり、なんと歩きが軽くなることだろう!笹の抵抗の凄さを改めて感じた。再び笹の中を泳ぐように登っていくとさらに傾斜がきつくなる。それを越えて一旦傾斜が緩くなると雪山用の金属プレートが混ざるようになり山頂がすぐそこであることを感じさせる。笹もやや小振りになるが凄い傾斜を直登していていて川名さんは”本当かよー”と嘆いていた。目印はまっすぐ上の木に着いていて笹につかまりながら最後の踏ん張りだ。樹林が切れた笹原になり見晴らしはすばらしく男体山から中禅寺湖、中禅寺湖南岸の山々、ここから宿堂坊、それに皇海山までの県境尾根と牛の背の様な皇海山、鋸山から庚申山も見える。

 この胸突き八丁を登りきると急に傾斜が緩くなって肩にたどり着いた。ここはほぼ水平で南から西にかけて土手のように高くなっているので、風が強くても幕営可能だろう。ただ、笹が深いので鎌が必要かもしれない。南に邪魔ものがあるので無線にはあまり条件が良くないので山頂まで行ってみてそっちで幕営できそうもなかったらこっちに戻ってこようと考えた。

 

錫ヶ岳山頂 山頂標識と若き日の川名さん 山頂付近から見た中禅寺湖

 

 ここから山頂まではほんの一登りで、背丈が4、5mのツガの林の中を抜けると待望の山頂に到着だ!! ツガに覆われているが南東方向は笹原になっている。この笹原を少し下ると皇海山も見えるようになった。西から北にかけては林でまったくだめだ。三角点はいちばん高いところではなくて50cmくらい低い南側に埋められていた。最も高いところはもっこりと盛り上がって笹に覆われていた。三角点の脇に笹の生えていない場所があったのでテントを設営することにした。今回は3人用のドームテントであるが、なんとかぎりぎりで笹に邪魔されずに張れそうだ。これ以上の大きさのテントでは笹を刈り払わないと無理だ。頭上は思ったよりもすっきりしていて、これだったら4エレでも十分上げられる。アンテナを持ってくるのが大変であるが・・・。

 三角点のすぐ北側のツガの木にはにぎやかなほど山頂標識が付けられている。いちばん上の標識が最も派手でバックグラウンドは黄色、立派な文字が書いて有ったのだろうが今は赤スプレーで”スズ”とデカデカと書いてある。そしてほとんど消えてしまった佐藤さんの文字があった。”WELCOME JCA & KQA”と微かに読み取れる。2年の間にこれほどまで薄くなるとは・・・。赤地さんの日付も読み取れた。5円玉も健在だった。しかし、赤地さんが付けた当時は光輝いていたと言う5円玉は佐藤さんの物と共に真っ黒になっていた。私も5円玉を・・・と探したらなんと無い!!! 50円では僭越だからやめておいた。

 

錫ヶ岳山頂西部から見た日光白根

 テント設営後、笠ケ岳への尾根覗きに行ってみた。川名さんは疲れ果てたようで遠慮しておきますとのことだった。白根山の文字は出ているのだが笠ケ岳はない。磁石を取り出して方角を確認して進むと意外としっかりとした踏み跡があり期待できそうだ。途中まで行ってみることにし下っていくと猛烈なツガの薮につっこんでしまった。いつのまにか踏み跡を外してしまったようで北の方に進路変更、今度は笹原に出て道に戻った。ここからは日光白根が間近に見える。2、3時間もあれば行けそうに見えるが実際は幾つものピークを越えて、薮をかいくぐる必要があるからそれほど容易ではない。西に目を向けると鬼怒沼山から黒岩山、四郎岳に燕巣山、その向こうには会津駒に蟹の鋏のような双耳峰の燧ヶ岳も見える。

 ここで一旦戻ってカメラと双眼鏡を持って、川名さんにも白根がよく見えるから行きましょうと誘って先ほどの笹原に向かった。帰りがけに正確な道筋をたどることができ、薮につっこまなくても行けることがわかっていたので楽にたどりつけた。写真を撮った後、アンテナを設営することにして場所を考えたが、結局は一番の高まりに立てることになった。ケーブルは10mと長い物を持ってきているので少しくらいアンテナとテントが離れていても問題ない。全く木に引っかかることもなく楽々上げられた。今回は2エレだからとても軽い。少しくらいの風でもびくともしないだろう。

 その後、カメラだけ持って笠ケ岳に向けて出発。ピークを下って真ん中のピークを通過すると枯れ木地帯が広がっていた。この入口まではまともな道であったがこの先は枯れた大木の後に生えてきたツガの幼木の猛烈な薮に阻まれていた。がんばって踏み込んだのだが錫ヶ岳までの道よりもさらにひどく、3つ目のコブにたどりつけないうちに無念の退散となった。残雪で薮が埋もれている時期でないと通過は困難だ。枯れ木地帯の写真とその向こうに見える上州武尊の写真を撮って、もと来た道を引き返した。笠ケ岳に行けるのは果たしていつのことだろうか・・・・。

 無線を運用しながら食事を取り、いい時間で切りあげて就寝。着る物は全て着込んでシュラフに潜り込んだ。ランタンを消すと寒くなるかと思ったらそれほどのことはなくて逆に暑くて夜中に起き出してしまった。明け方近くにはテントのすぐ東の笹原の中だろうか、人間がすぐ近くにいるのを知ってか知らずか、鹿が盛んにピーピー鳴いて安眠を妨害した。夜は静かに寝ていればいいものを・・・。

 翌朝は5時に起床、日の出を見ようと外に出たところガスって何も見えなかった。下りは濡れた笹の中を泳ぐのを考えると川名さん共々嫌気が射した。早く晴れて露が乾いてくれー。写真は昨日撮っておいたから安心だ。最後の無線運用で関西方面と交信を行った。おそらく50MHzの電波が錫ヶ岳から出ることは2度と無いだろう。

 テントを撤収し忘れ物を確認し、山頂付近の様子を写真に撮った。もう、2度と来ないかも知れないから頭に中に焼き付けておく。ガスっているがときどき薄日もさす。笹が濡れているので私はカッパを上下とも身につけて川名さんはスパッツだけ付けているから当然私が先頭で若干つゆ払いの役目も兼ねた。山頂肩の急な下りが最も神経を使い、濡れた笹につかまりながら下った。予想通り笹はびっしょり濡れていて足元は滑って何回かコケたし、カッパもすぐに濡れた。いくら私が先行してつゆ払いをしてもこの状態ではスパッツだけの川名さんは非常につらい。濡れた物は林道歩きの時間で着干しできるだろうか。

 2241mで若干登り返し、さらに急降下、正しい道は来たときよりも東側を通っていた。下りきって水平になったところはどうしようかと迷ったが正確に踏み跡を辿る。薮を過ぎると道も良くなって原生林の中に入り、初めての登山者に出会った。単独で林道を西の湖から歩いてきたという。ザックは小さく日帰りだろうがいまだ10時だから十分日帰りできる時間だ。こんな所に入ってくるような人ならテープなど不要かも知れない。

 2077m鞍部に出れば藪とおさらば、林道終点に向かって下っていった。赤テープに従ってどんどん降りると宿堂坊山はどんどん高くなっていき廃林道終点に出た。ここから見る錫ヶ岳はもう遥か高く2241m峰と共にガスの中に隠れている。さっきまではあそこにいたんだなー。

 ここで今日最後となるであろう休憩をする。もうカッパはいらないからザックに押し込んでTシャツに着替える。ちょっと寒いが歩けばちょうど良いくらいだろう。どんどん下って最初の水場で近くの木にしつこいほどテープを巻いてきた。次に来る人は一つの木の幹に6箇所ほど赤テープが巻いてある木があったらそこで水を汲むようにするとよい。ここから数分で「観測小屋」だった。宿堂坊の登山口で消えかかった文字を書き直し、新たに私と川名さんのコールを付け足しておいた。

 いくつかの崩壊現場を乗り越え柳沢川も通過、今日は河原にテントが張ってあった。先ほどの単独登山者の物だろうか、誰もいない。もう先は残り少ないが疲労が溜まり、まっすぐで風景が変わりばえしない林道歩きは苦痛だった。”偽ピーク”ならぬ”偽合流”に騙され、やっと西の湖の林道と合流したと思ったら変な分岐だったりと精神的に疲れてしまった。

 まだ西の湖の林道との合流まできていないだが、どこへ行くのか家族連れとすれ違った。それからちょっとでやっと林道と合流、まもなく橋を渡って駐車場に到着した。とうとう念願の山を無事に往復できた。駐車場は既に満車で入れない車がうろうろしていた。人が多いので着替えるのも恥ずかしかったがすっきりしたかったから車の陰でこそこそ着替えた。これで汗でも流せればさらにすっきりするが、これだけでもずいぶん気持ちがいい。

 帰りは中禅寺湖畔で渋滞に引っかかったが、まだお昼なのでそれほどひどくなかった。いろは坂を過ぎて日光の町中に入るところでまたもや渋滞、それをきらってUターンして122号で帰ったが、足尾の町中で(原向の駅付近)で道が狭くて大型車がすれ違い出来ずに大渋滞していた。その先は順当で暇だったので三境山の林道を抜けて田沼に入り実家までもどった。

 荷物を置いて久喜に向かう。途中で遅い昼食をとってさらに南下、このまま久喜駅で降ろしてもらってJRで帰ろうかと思ったのだが、川名さんの提案で武内校長の所まで近いので報告しに行くことになった。休日なのでそれほどの渋滞もなく19時前に到着、早速結果報告だ。早くもQSLも発行してもらい山ランのポイントが一つ増えた。話に花がさいて長くなってしまったが20時頃に出発し、東大宮で降ろしてもらった。


所用時間

1日目
西の湖駐車場--(0:45)--柳沢川を渡る--(0:25)--沢(休憩13分)--(0:04)--第14号橋--(0:05)--崩壊地--(0:37)--建物(休憩14分)--(0:05)--水場(休憩7分)--(0:34)--林道終点(休憩20分)--(0:38)--2077m峰北の鞍部(食事43分)--(1:07)--2241m峰と錫ヶ岳の鞍部(休憩14分)--(0:37)--肩--(0:03)--錫ヶ岳

2日目
錫ヶ岳--(0:27)--錫ヶ岳と2241m峰の鞍部--(0:57)--2077m峰の北の鞍部(目印付け20分)--(0:27)--林道終点(休憩20分)--(0:18)--最後の水場(休憩4分)--(0:03)--建物--(0:27)--宿堂坊登山口(写真撮影4分)--(0:29)--柳沢川を渡る--(0:35)--西の湖駐車場

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