日光笠ヶ岳、三ヶ峰、沼上山(残雪期) 1993年4月10日

 

日光白根から見た笠ヶ岳、三ヶ峰

 

 笠ケ岳。それは錫ケ岳よりも遠い山。普通のハイカーが登ろうなんて考えるわけもない。特にここは栃木県からはずれているし、私の関心をひくわけは無い山だった。しかし錫ケ岳同様、3大怪人が制覇したとなっては話しは違う。早速今年の山行の「目玉商品」の一つに上がった。もちろん藪山なので残雪期を狙い、ちょっと早いが4月上旬を実行日とした。

 前日は午後半休をとり実家に3時には戻った。食料を調達して一路香沢林道入り口を目指す。林道入口はわかりにくく、お土産物店の脇で標柱も奥の方にあるので夜間では車のライトが届かず見つからないわけだ。しっかりと施錠されたゲートがあるので車を橋の手前に置いて偵察してみると、入口から1分もしないうちに大量の残雪がでてきた。これじゃどのみち車は使えない。車に戻って遅い夕食をとり眠った。明日の起床は4時である。満天の星空であった。明日も快晴だろう。

 翌朝は目覚ましで4時に起きる。林道歩きに備えて時間を少しでも有効に使うために朝食は途中の休憩でとることにして出発した。林道の入り口付近には踏み跡もあって、もしかしたら最近笠ケ岳に登った人がいたのか?と思わせたが、しばらくすると足跡はなくなっていた。獣の足跡だけである。ワカンはザックの後ろにくくり着けたままでアイゼンも付けない。雪は締まっていて平均して沈む深さは2cmくらい、固いところでは全く沈まない。深いところでも足首のやや下だ。この程度でも全く沈まないところと比較すると抵抗がずいぶんと大きく感じる。

 この林道はまだ現役だろうか、錫ケ岳の柳沢林道は崩れ放題だったがこちらはそれほどではない。雪が積もっているのでその下の状態は分からないが、少なくとも道一面が崩れた土砂でとうせんぼになっている所もないし、道そのものが崩れ落ちている箇所もない。考えてみれば赤地さんがバイクで走れたのだから当然だ。香沢に沿って緩く緩く登って行く。やがて正面に雲を戴いた白いピークが見えてきた。はるかに遠く、そして高い。その右側にはギザギザのピークが見えている。これらは白根山と錫ケ岳かと思っていたのだが、実は白根のように見えたのが笠ケ岳、ギザギザ頭は三ケ峰との間の2077m峰だったのだ。白根は谷が違うから見えるわけはないのだ。これに気がついたのは帰りの時だった。どうも山岳同定は苦手である。

 

林道途中で休憩

 途中で2箇所くらい林道の支線があったがいずれもゲートがかかっている。歩き始めて1時間が経過したのでどこかで休むことにした。しかし、周囲は一面の銀世界、座れる地面はない。いいとこないかなぁと歩いていると小さな橋があり、その欄干には雪がなく座るのにちょうど良さそうだ。「界沢橋」と書いてある。ザックを雪面に転がしてひと休み、天気は持ち直してきたようで青空が広がってきた。昨日の午後3時くらいは佐野から白根山がはっきりと見えていた。たぶん、そのくらいの時間まではなんとか雷は来ないであろうか。しかしこの時期から雷を気にするとはなんという天気なのだろう。

 10分休んで出発、ふたたび緩い登りの林道をひたすら歩く。しばらくすると上空は晴れているのに雪が舞落ちてきた。都会の湿った雪と違って落ちてくる速度が非常に遅く、いかにもサラサラの雪といった感じだ。気温も低いらしく、衣服に着いても融けない。これなら濡れなくていいや。今日は帽子をぶっているから少しくらいの雪でも気にならない。特に眼鏡をかけているときには眼鏡に水滴が着かないので重宝する。

 ジグザグりながら登るとやや大きな2連の橋を渡る。「香沢大橋」と書いてある。次に大きく左にカーブしながら「深山橋」を渡る。沢の右岸に道は移り、尾根をジグザグってさらに沢沿いに高度を上げている。橋を渡るとすぐに右側が崖になっていて林道上に落石が散らばっている。バイクできた場合はここだけは降りて通過しなければならないだろう。校長はこの転がっている石ころに座って休憩したのだ。

 

林道から見た四郎岳、物見山、燕巣山

 ここまで来れば西側、北側の視界も開けてくる。西から上州武尊、岩倉、真っ白な尾瀬笠ケ岳、至仏山、そして昨年登った双耳峰の燧ケ岳。同じ笠ケ岳である尾瀬笠ケ岳も行ってみたい。岩倉はスキー上のゲレンデの白さが目立つ。今ごろはスキーヤーで賑わっているのだろうか。

 さらに沢沿いに進むと左手にゲートがかかった林道が出てきた。まっすぐにはまだ林道があるように見えたので進んでみたが行き止まりだった。支線の方が教頭が「毒を食らわば皿まで」の精神でモンキーを駆った林道である。休憩してから1時間が経過しているので日当たりの良い本線の突き当たりまで行ってザックを雪の上に置いて、その上に腰を降ろした。目の前には笠ケ岳が大きく見えていた。ここからみるともう近いように見える。しかし、まだ山頂まで2時間半かかる予定である。山頂直下にはゴツゴツした岩が見える。また、目の前の尾根の上方には林道が見える。あそこまで上がってから尾根に取り付くのだろう。

 さあ、出発だ。ゲートは完全に雪に埋もれてポールの先端が見えているだけだ。跨ぐ必要もなくゲートを越える。ポールが見えなかったらゲートがあること自体に気がつかないだろう。林道は唐松の幼木の林の中を通り小さな尾根を乗り越える所に到着した。赤地さんの記事ではそこには「支線」があるはずだが全くそれらしい林道がない。それにまだ上の方に林道が見えるではないか。躊躇することなく先に歩いた。しかし、YAMAルームの記事を読んだ限りでは校長はここから登ったようだ。しかしそうすると上に見える林道を横切ったはずだ。だがその様な記述はない。雪が深くて林道だとは気がつかなかったのだろうか。

 若干下りながら尾根の北側に出ると雪がさらに深くなり潜るようになったがそれもすぐに終わった。再び登りになると林道が左に分岐している。しかし左は下り気味なのでそのまま直進した。どうも左の林道は六軒山の直下を通り、香沢の右岸に沿って下っているようだった。ここまで来ると六軒山も非常に近く、笠ケ岳から北西に延びる尾根もすぐそこだ。稜線の直下で再び道が分岐していて、どうやら直進が校長が登り始めた地点から見えていた上方の林道のようだ。大きく左に曲がる道は稜線を乗り越えているようである。どっちがいいかHQJと相談した結果、左に入ってはやいところ稜線に上がることにした。しかし、結果的にこの選択は誤りだったことが後から判明する。

 林道は稜線を巻きながら登り、さきほどの分岐から数分で峠に到着した。ここが目標の尾根である。尾根を乗り越えた先にもずっと林道が続いている。どうやら仁下又沢の林道の方に下っているようだ。どうもこの界わいは地形図に掲載されていない林道が網の目のように張り巡らされている。オフロードバイクで遊ぶには面白そうな林道が揃っている。

 少し休憩し、HQJを先頭に稜線に上がった。ところが雪は柔らかく、急な登りは潅木に頼って強引に体を引き上げるしかない。今までと比較したらとっても歩きにくい。おまけに雪を踏み抜くことが多く、とうとうワカンを着けることになった。ワカンというものを使うのははじめてである。HQJに装着方法を教わって早速履いた。アルミパイプの輪でこんなもんで本当に効果があるのかなぁ。
 この先も相変わらずの密度の高い樹林帯で、木の高さがそれほどでもないので歩きにくい。しかし1824mピークを越えると歩き易くなった。木の高さが変わるだけでこんなに歩く速度が変わるとは思わなかった。まあ、木が大きくなると小さい木は枯れてしまって薮の密度も低くなる影響もあるだろう。オオシラビソの他に桧の親戚(何という名前の木か知らない)が混じっている。これまた雪を頭からかぶる原因である。

 やがて西の斜面は木が疎らになり、唐松の幼木の植林地帯になった。あちらの方がずっと歩き易そうなので稜線を西に外して歩いた。おお! こっちは雪が締まってとても歩き易い。こんな状態がずっと下から続いているようだから稜線直下で峠に行かないでそのまま巻くように林道を上がって、途中の尾根で唐松の幼木地帯の中を登った方がはるかに時間がかからなかっただろう。なんでも尾根の上がいいわけではない。

 稜線直下の唐松林も終わってこのままでは稜線から離れすぎてしまう。ここで上に戻ろう。しかしワカンを履いた状態での固い雪面の急斜面はしんどい。潅木等につかまりながら稜線に戻った。再びシラビソの林を歩くが密度はだいぶ低くなって歩き易い。細いダケカンバも混じってきた。まだ傾斜はそれほどきつくない。雪の潜り方は足首くらいまでだ。この辺はずっとHQJが先頭のままだった。

 眺めも良くて周囲の山々が丸見えだ。高度は三ケ峰よりもやや低いだろうか。正面には偽ピークの向こう側に笠ケ岳がそびえている。もう手が届くほど近いような感じがする。最後の登りの傾斜も大したことがなさそうだ。この辺で再び休憩だ。細いダケカンバだけの林の中で日当たりも良く、まだ食べていなかった朝食をとる。HQJは食欲旺盛でここまでの2回の休憩で大福を平らげている。私は今日は初めてである。昨日購入した大きめの大福を一つつまんで口に運んだ。大福は腹持ちが良くてかさばらずに山での食事にぴったりだ。

 長めの休憩で出発、あとは偽ピークを越えれば最後の登りだ。しかし思った以上に傾斜と薮で時間がかかる。枝に雪が残っていなければさっさと歩けるのだが。この辺で赤地さんが書いていた「ガレ場」があるかと思ったが全くそれらしい箇所は無かった。もっと下の方で西側をトラバースするように歩いていたところにあったのだろうか。目印のビニール紐がときどき出現するが見かけたのは5個程度だったろうか。むろん夏道は何処だか全く分からない。

 

西側2060m付近から見た笠ヶ岳

 途中で私が先頭に立ち、歩き易いルートを拾いながら歩く。吹き溜まりで垂直になっている場所でも雪が柔らかいのでワカンを蹴り込んでステップが切れる。ようやくピークを越えると傾斜が緩くなり、ぱったりと薮がなくなって一面の雪原が待っていた。そしてワイアーがかかったまま枯れている木がぽつんと立っていた。どうやらここが赤地さんが苦労した倒木帯らしい。らしいと言うのは雪が深くて倒木は埋もれてただ広い雪原が広がっているだけだからだ。所々にツガの幼木が僅かに頭を出してはいるが。ワイアーの枯れ木がなかったらそうとは気づかない。怪人が「稜線漫歩」のようだったと表現しているのもこの辺りだろう。

 もうここまで来れば成功はほぼ手中にしたと言ってもいいだろう。しかし、現実は甘くなかった。この先は何処を歩いても膝まで潜るのである。日当たりがいいはずだから固まっているかと思えるのだがどういうわけだろう? 尾根の南側には雪庇が発達しているのでなるべく北側を歩く。先頭で歩くにはちときつい。しかしHQJは遅れ気味だ、ここで交代はかわいそうである。このままがんばるしかない。いくつかの吹き溜まりも強引にまっすぐ乗り越えて最後の登りにかかった。ここも良く潜る。傾斜はかなり急で赤地さんの苦労がしのばれる。

 

佐藤さんの標識(画像処理で文字を強調) 笠ヶ岳から見た錫ヶ岳、日光白根 雪壁の南側で無線運用

 

 雪に喘ぎながら山頂に到着すると見晴らしがいい! 360度遮るものがない。これも残雪期の特権だ。本当に近くに3つコブの錫ケ岳があった。9月は2個目と3個目のピークの鞍部で薮に閉ざされてここまで来られなかったのだが、今はその鞍部も真っ白な雪で覆われて木が生えているようには見えない。どうやら幼木は完全に埋没しているらしい。後から佐藤さんの文章を読んでみると「雪面から樹木が腰ほどしか姿を表していない」となっているから、その時と比較して1m以上は雪が深かったのだと分かった。

 最も高いのは雪庇の上だった。南側は2mくらい垂直に落ち込んでいる。風はやや強いものの、天気は快晴、雪もやんでいる。休むときはこの雪庇の下が風もなくて日当たりが良くて好都合だ。雪のピークの北側には白いプレートが付けられていた。近づいて見ると新ハイにも出てきた「ようこそ 笠ケ岳」の文字があった。そうである、佐藤さんのプレートだ。文字はだいぶ色あせて薄くはなっているがまだ読むのに不都合ということはない。そしてその近くの木には大きな山頂標識が付けられていた。これは3人が登ったときにはいずれも無かったから最も新しいものである。新ハイの著者が登ったときには既にあったのだろうか。

 休憩を兼ねて無線を運用し、最後に写真を撮って出発した。これからはYAMAルームのメンバーは誰も歩いたことの無い稜線に踏み入る。眺めがよいのでこれからのルートは丸見えだ。一旦、南に歩いて2205mピークを越えて西に直角に曲がる。さらにいくつかのピークを越えて鞍部に至り、登り返せば三ケ峰だ。

 この稜線も東側に張り出して雪庇が発達している。潜っても下りだから楽だ。一つピークを越えて2個目のピークは西側のシラビソの幼木の植林地帯をトラバースして三ケ峰への稜線に取り付いた。西斜面は固く締まっている。これで平だったらもっと歩き易いだろうな。夏場だとこの幼木が薮と化してトラバースなんかできないのだろう。はたして稜線上に夏道があるのか確認のしようがない。なお、目印等は見あたらなかった。このピークの手前は木が少なくてちょうど笠ケ岳直下の登りの雪原のような感じで、もしかしたらここが赤地さんの言う「マッチ棒を大量にばらまいたような倒木帯」なのだろうか。

 このあたりから風が強くなって雪も混じるようになった。強い北風で右の頬が切られるように痛い。北側の尾瀬の山々や四郎岳、白根山、錫ケ岳等は雪雲に隠れてしまった。でも上空の雲は薄くて、天気の崩れは一時的のようだ。ときどき太陽が顔を出す。日光はこんなに暖かかったのかと驚かされる。

 いくつかピークがあるが北側はシラビソの薮、南は雪庇で巻くことができない。ほぼ正直に凸凹を越えて行くしかない。吹き溜まりでは急な傾斜をよじ登る。地形図では一様な傾斜で下っているように見えるが、実際は細かいピークが幾つも重なっている。このあいだは地形図を見ないで漫然と歩いていたが特に迷うような所はなかった。2077mピークを過ぎてから道は右に曲がっているはずだがいつのまにか通り越していた。

 ようやく笠ケ岳のピークが目の前に見える1900mの鞍部に到着した。ここで休憩だ。天候はさらに悪くなって半分吹雪だ。しかし隠れるところがなくシラビソの南側にザックを降ろしてその上に腰を降ろした。これでもだいぶ風よけになる。ここから150mほど登れば今日の登りはおしまいだ。少しくらい疲れてもがんばろう。

 また、私が先頭に立って大きなダケカンバ、シラビソの林立する稜線を登り始める。笠ケ岳直下の登りと比較すればずっと緩いが長い林道歩きの影響だろうか、足どりは重い。ときどき立ち止まって息を整える。稜線上は意外に木の密度が低くて何処でも歩ける。

 三ケ峰は双耳峰になっていて西側のピークに三角点がある。やっと東のピークにたどり着き鞍部に向かうと潜り方がひどい。どこを歩いても膝まで潜る。疲れがいっそう増すことになった。この辺りから新雪に埋もれてはいるが人の踏み跡と思われる足跡が見つかった。いったいどこから上がってきて何処に下ったのだろうか。途中に見えなかったから三ケ峰だけを狙って登ったのだろうか。踏み跡なんか有るわけないと思っていただけに、この事実には驚いた。あとわずかな登りしか残っていないのだが、とうとうギブアップして先頭をHQJと交代した。それから間もなくして山頂に到着した。

 

三ヶ峰山頂 山頂標識「KUMO」とフィルムケース(左下) ここでも無線運用

 

 こちらの山頂は木に囲まれてほとんど見晴らしはない。やや日当たりの良い場所にシートを広げて休憩だ。山頂標識は2箇所の木に付けられていた。GWV,笠ケ岳で見たのと同種の新しい標識、そして我らの「KUMO」だ。KUMOの下には確かにフィルムケースがぶら下がっている。出席簿への書き込みは最後の楽しみにして、まずは山ラン用のQSOだ。予定よりも30分オーバーして笠ケ岳から2時間かかった。武内さん、佐藤さんは待っていてくれるだろうか。

 無線でつながった人(まさかあのJH1QZW滝沢さんだったとは!)の話しだと、近い内にここにスキー場ができるのだという。その様な話しは初めて聞いた。もしそれが実現したら笠ケ岳も沼上山も登り易い山になってしまうのか。この辺ではスキー場と言えば丸沼、尾瀬周辺、武尊などたくさんある。こんな静かな山の中に新しく作る必要も無かろうに。

 最後に写真を撮影して寒くなってきた山頂を後にした。この先は尾根の分岐で間違わないように注意しなければならない。誤っても南側の尾根に下ってはいけない。南に下ってしまうと山頂にたどり着けないだけでなく鎌田の遥か南に下ってしまい、登り返さない限り香沢林道まですさまじい距離を歩いて行かなければならない。そうだったら間違って北の尾根に入り込んで沼上山に登れなくても無事に林道に下れた方がはるかにましだ。

 磁石で確認しながら樹林帯を北西に下っていく。尾根の真上はやや薮が多いので南側を歩く。どうもこれがそもそもの間違いの原因だったような気がする。先ほどの踏み跡も同じようにここを歩いている。どうもこの踏み跡は峰山の尾根からこの尾根にかけて歩いているようだ。 新雪の下ということは、寒波が入る前に入ったのだろうか。とすると1週間くらいか、それとももっと前だろうか。

 尾根をそのまま下って行き、途中見晴らしの良いところで何度か現在位置をチェックする。しかし、この時点で既に尾根を間違っていたのだ。地形図を見ると沼上山への尾根ははっきりとした尾根をずっと下るのではなくて1850mで尾根と分かれてまっすぐに下らないといけないのだ。これを見落として1575mピークのある尾根に入り込んでしまったのだ。これに気がついたのは1640m付近だったようだ。北側にあやしげな尾根が見えるようになったのだ。地形図では沼上山の尾根の北側にはこのような同じ程度の高さの尾根があったりはしない。

 こりゃ、完全に尾根を間違えた。このまま下っては帰りつかないから、いかなる方法を使っても北側の尾根に乗り換えないと。しかし、既に疲れも溜まって分岐の尾根まで登り返す元気はない。あの感じからすると200m位は下ってしまったはずだ、それを今更登り返すのはあまりにも酷である。それなら真北に向かって谷に降りて登り返した方がかえって高度さが少ないようだ。しかし、それでも疲れる。最終的にはHQJの提案でこのまま水平に斜面をトラバースしながらあちらの尾根に乗り移ることにした。あまりにも歩行距離が長くなる場合は下ってから登りなおしてもいいか。

 唐松林の中を今までとは逆方向に水平に歩き、小尾根を越えてその向こうが本来歩くべき尾根だった。うまい具合に登りの高度差は殆ど無く、体力の消耗は少なかった。時間のロスは20分ぐらいだったろうか。しかし怪人はこの領域をガスに巻かれながら地形図と磁石だけで正確に歩いているのである。周囲の景色が見える現在よりも条件がずっと悪い中でも間違えない技術は驚嘆に値する。まだまだ私の技術は未熟である。やはり悪天時の山登りはやめた方がいいだろう。

 歩き易い水平の尾根になり、僅かで南北方向がが伐採されて見晴らしの良い小ピークに到着した。そこには紅白のポールが立っている。これが山頂か?と思ったが標識類は全く無い。少なくとも校長の付けた物だけはあるはずだ。でも紅白ポールが有るということは山頂である可能性が高い。迷ったが本当のピークでは無かろう、もしこの先で下ってしまっても一度山頂を踏んだから山ランで「沼上山」で出ても支障は無かろうと判断、そのまま先に進んだ。

 これは帰ってから地形図を見て分かったことだが、尾根を乗り換えた場所は小尾根があってその先は平ですぐに小ピークがあるから1630m付近だったはずだ。こんなことが歩いているときには分からないのである。分かっていれば安心して先に進んだものを。いつも言えることだが、登っている真っ最中は一旦道を外してしまうと地形図上で自分が何処にいるのか全く見当が付かないのだが、帰ってから地形図を見て考えるとすぐに何処を歩いたのか分かるのである。現場では冷静さを失ってしまうからなのだろうか。なんでこんなのが分からなかったのか、と不思議になるくらいだ。

 この先は緩く下っていく。まだまだ尾根は続いているようだ。もう薮はなくて歩きやすい雪面が続いている。下っていくうちに前方に明らかなピークが見えてきた。あれが山頂に間違いない。まだまだ水平距離がある。この尾根には偽ピークにもあったような紅白ポールがあちこちにみられる。思うに滝沢さんが言っていたスキー場と何かつながりがあるのではないか。この辺から切り開かれると沼上山はそれこそリフトで一登りの山になるだろう。しかし三ケ峰まではまだ数100m登らなくてはいけない。しかし、道さえ出来てしまえばそんな高低差は大したことないけど。

 

沼上山から見た三ヶ峰 沼上山山頂(雪面ギリギリにKUMO有)

 鞍部を通過して緩く登ると待望の山頂に出た。今度こそは間違いない。唐松が若干伐採された、こんもりした山頂だ。標識も付いている。例の新しいものもあり、どうやらこれを付けた人は私と同じコースで周遊したのではなかろうか。肝心の「KUMO」は雪面ぎりぎりの位置にあって最初は気づかなかった。僅かに雪から頭を出した杭の最上部にくくり付けられている。怪人が登ったときはどのくらいの高さだったのだろう。真冬の雪が深い時期では新しい方の標識は顔を出しているだろうが、こちらは埋没すると思う。

 雪はそれほどひどくないがやむ気配がなく、しんしんと降り続けていた。やや視界は落ちたものの谷の反対側の尾根はしっかりと見えるから心配無用だ。もうここまできてしまえば一つぐらい尾根をまちがえても大きな被害はない。北に下れば必ず林道に出られるのだから。帰りのコースはこのまま尾根を北に進み、1510mの小ピークで右の尾根に入り、笠ケ岳の西から続く林道に降りて林道上を歩いて往時に歩いた林道に出る。山頂からも下るべき尾根がはっきりと見えるので安心だ。

 固い雪の上を下って小ピークに立ち、北東にまっすぐと延びる尾根を下った。ここにもまだ雪がたっぷりとあって薮は隠れている。しかし、もっと下の方の南斜面では一部の薮が顔を出している。ただ薮と言っても背の低い笹だったからたいしたことはない。北側は樹林帯である。顕著な尾根で外す心配もなくグングン下って、左手が歩きやすそうな唐松の幼木林になったところでそちらに下った。林道は左の方に下っているからこの方が尾根をそのまま進むより僅かではあるが距離を短縮できる。

 尾根からはずれるとボッカボッカの雪になり、ワカンを滑らせながら下っていった。林道に降りる最後の部分では、滑っている状態で埋もれた木の真上を通ったために思わず片足を踏み抜いてしまい、急激なブレーキがかかったのと同じで前のめりにぶっ飛んでしまった。この先が雪がなかったらケガをしていただろうが柔らかい雪の上に倒れたので何事もなかった。ワカンを履いてこんなことをするものではない。

 この先は林道歩きだから淡々と歩けばいい。林道上は雪がない部分もあるのでワカンを脱いだ。しかし紐がカチンカチンに凍り付いて、石で叩いて氷を落とさないと紐がはずせない。しばらくはその作業に専念した。意外に気温は低いようだ。まだ雪は降りやまない。いつのまにか重機が入って除雪された林道を下り、長い山行が終わった。


 所用時間
ゲート--(0:18)--(1:20)--界沢橋(0:12)--(0:35)--深山橋--(0:23)--林道終点(0:10)--(0:27)--左に林道が分岐する--(0:13)--稜線(0:10)--(1:10)--休憩(0:20)--(1:06)--笠ケ岳(1:04)--(1:17)--1900m鞍部(0:08)--(0:38)--三ケ峰(0:47)--(0:52)--戻る--(0:44)--沼上山(0:16)--(0:22)--林道(0:13)--(0:25)--林道本線--(0:11)--ゲート


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