尾瀬 檜高山、袴腰山、赤安山、黒岩山1994年4月29〜30日

 

 

 昨年のGWは栃木、群馬、福島県境の黒岩山に登ろうと武内さん、佐藤さんの後を追って大清水から入山したが、宿泊予定の鬼怒沼山避難小屋が例年にない残雪量のために雪に埋もれて入ることができず、緊急用のツェルトで震えながら一晩を明かして結局鬼怒沼山でのんびり無線をやって下山してしまい黒岩山には登れなかった。なお、このビバークした夜は冬型で夜の地吹雪の中を物見山目指して登ったが、下山後のラジオでは那須や大佐飛山などでは遭難者が続出したのを知って我々もあと一歩でその仲間入りだったと思うとぞっとしたものだった。

 あれから1年、今年も残雪の薮山歩きに最適な時期がやってきた。無論黒岩山が目標だ。いつもそうだが最大の難関が天候である。今年はどうも天候が不安定で頭を悩ませたが、29日に移動、30日に登りはじめて幕営、1日に下山の予定を組んだ。さらに29日の早い時間に現地に到着したら出来るところまで登って翌日には下山しようと考えた。今度の山行では山ランしか狙わないので重量も昨年と比較して軽量化されているのでもう少し早く歩けるだろう。

 コースであるが、最初は3怪人と同じように鬼怒沼山から尾瀬沼へと縦走しようと考えたが、天候が崩れて途中撤退した場合、山ランのポイントがゼロになってしまうリスクがあった。次に逆まわりを考えたが、よーく考えると鬼怒沼山、物見山は登る必要はないのだから尾瀬側からピストンすればもっと楽に登れるのではないかと思うようになり1日目に鉄塔付近の県境稜線まで登って幕営、翌朝はそこから黒岩山までピストン、さらに桧高山へもピストンして同じ道で大清水に戻る計画を第1に考えた。これならアタックの荷物だけで黒岩山まで往復できるので大ザックで鬼怒沼まで回るよりは楽だろう。丸2日間の所用時間の予定が1日と3時間ほどで済むのだから天候の悪化による失敗の恐れも薄くなり、かなり成功の確率が上がるわけだ。

 直前に電話でHQJと集合時間を打ち合わせたかったのだが、やつは飲み会で深夜になっても帰宅せず、留守電に「明日10時までに来るように」と吹き込んだ。これなら12時に出発できるから大清水には午後3時には到着できる。今は真っ暗になるのは午後7時だからその日の内に稜線までたどり着けるだろう。

 GWで道が混雑しているかと心配したが渋滞は無く、大清水には午後5時に到着した。駐車場に到着しての感想は「昨年と比較して雪が少ない」だった。雪解け水でビシャビシャだった駐車場も乾いている。この雪の量の差が歩きにどのように影響するのかは山に入ってみないと分からない。昨年は物見山の尾根の登りでは雪を踏み抜くことおびただしく、非常に体力を消耗したが今年はどうだろうか。早朝から登れば雪も凍結して歩き易くなるだろうが夕方では期待できない。

 心配していた天候も赤城北面道路で小雨がパラついた程度で今は晴れている。ただ、予報では寒気の流入で今日、明日は大気の状態が不安定で午後は雷とのことで油断できない。早速身支度を整えて出発、昨年は誰も入らない林道を歩いたが今年は奥鬼怒スーパー林道を歩き、小淵沢で別の林道を北に入り県境尾根まで入る予定なので誰か歩いた人はいるだろう。踏跡が有ればルートファインディングの手間が省ける。エアリアマップによると初夏には刈払いされる道というから人が入っている可能性は高い。

 スーパー林道は未舗装だが解放されれば普通車でも問題なく走れるほど路面の状態は良かった。除雪をするのだろうか、路面には雪が残っていない。テクテクと40分ほど歩くと大きな沢の右岸に林道が分岐している。標識は無いがここが登山道に間違いない。尾瀬周辺で標識がない道があるとは思っていなかったので正直言って驚いた。

 この先の林道は廃林道の趣が強い。おそらく沢に点在する砂防ダムの建設時に使われた後は放置されているのだろう。雪が出てきが足跡が残っており、稜線まではルートファインディングの必要はなさそうだ。雪は思ったよりも締まっていて沈み込む深さは1、2cm程度、昨年よりも格段に歩き易くなっている。稜線でもこの調子だったらワカンは不要だろう。ただし所詮は雪道、ときたま露出した地面を歩くのと比較すれば体力を消耗するので踏跡には従わずにできるだけ雪の融けた場所を選んで歩く。

 林道の雪は徐々に増えて一面真っ白の世界になってきた。沢から離れてジグザグにカーブしながら高度を上げる。前の足跡はカーブを直登しているのでそれにならってこちらもショートカットで雪面をよじ登るが、いつのまにか足跡がパッタリと消えているではないか。この足跡の主はいったいどこから降ってわいたのか。まだ登山口は先だと言うのに踏跡はなくなっていた。小淵沢にかかる橋を渡ってジグザグったところが登山口のはずである。橋を渡ってからは注意しながら進み、最初のジグザグで小尾根の入り口に赤い目印があった。まずはここが臭い。でも地図ではもう1度ジグザグっているはずなのでさらに先に進んだがその上には目印はなく水平に巻くようになったので行き過ぎである。目印よりも1段上のカーブ(地図ではここが登山口になっている)から登ることにした。斜面は一面の雪に覆われて笹薮は無いから好き勝手に徘徊できる。

 目の前の小尾根に道があるだろうと取り付いたが目印は無く、磁石を頼りに北東に向けてよじ登る。雪の状態は良好であまり潜ることもないし、木の間隔も広くて歩き易く、どこかで本当の登山道を越えたはずだが気づかなかった。既に時刻は午後6時半を回り、まもなくヘッドランプが必要になるからのんびりできない。低気圧が通過したのか北西の風が強まって霰が降ってきたが気温がそれほど低下していないのは助かる。雪も凍っていたが今は表面が緩んだままだ。

 午後7時、休憩を兼ねて天気予報を聞くためにラジオを取り出して座り込んだ。唯一聞こえたFM放送によると、天気は明日は大丈夫だが明後日から曇るということだ。今日は行けるところまで行って幕営し、明日は早朝から行動して黒岩山をピストンするのが確実な方法だろう。

 ラジオを聞き終わって私は12本爪のアイゼンをつけた。HQJは4本爪の簡易アイゼンしか持ってこなかったのでノーマルで登る。アイゼンの効きは素晴らしく、急斜面ではHQJが頻繁にスリップするにも関わらずこちらはキックステップすら不要でグイグイ登れる。私が先頭で、HQJが通過が困難な斜面ではステップを作ってやりながら高度を稼ぐ。

 

幕営場所にて

 ようやく傾斜が緩んでピークらしい部分に出ると、手前側(西側)は今までと異なってシラビソの林になっており、その向こうがてっぺんだった。さて、ここは何処だろうか。HQJの推測では1765mのピークではないかと言う。なるほど、西側にはピークを分断するような格好で谷があり地形図の描写と一致する。周囲が見えれば場所の確定は確実になるのだが今は霰が降って真っ暗闇で何も見えない。時刻はもう夜8時近く、ここが幕営の第1候補地になるだろう。様子を探りに北東に向かうと下っているが傾斜が急過ぎるような気がする。周囲の様子が見えれば現在位置が確定するのだが夜間では難しく、このピークで幕営することに決定した。ピーク上は細いダケカンバで風よけにもならないので少しだけ戻ってシラビソの森の中にテントを設営し、飯を喰って寝た。夜中はテントを叩く霰の音とゴーゴーという強い季節風の音が続いており、相当冷え込むかと思ったがそうでもなかった。。

 翌朝は4時に起床、やや明るいかなぁという程度でまだ真っ暗闇に近い。ランタンをつけてシュラフを畳んで食事、外に出ると強風で、快晴とは言わないがだいぶ雲が取れている。気温が下がって雪はがっちり凍っているのでアイゼンが効果を発揮するだろう。荷物をまとめて出発だ。5時半近くて周囲の様子が見えるようになりルートファインディングは何の心配もなくなっている。

 緩やかな尾根を通って送電線の下を通過、スキー場のゲレンデのように緩やかなスロープが広がっている。ここだけは電線が木に接触しないように広範囲に渡って伐採されているので正面の尾根の様子が良く分かる。送電線直下から尾根に取り付こうと思ったが崖があって登れそうにないので右側から迂回して登ることにする。シラビソの森に入り、潅木があったり少し笹が顔を出しているところを選んでよじ登る。私はアイゼンがあるから平気だがHQJはそうはいかず、私が固く締まった雪にステップを切って、そのあとをHQJが歩く。急斜面が終わると私は歩き易い雪原を、HQJはスリップするとそのまま滑落する可能性があるので安心できる斜度になるまで薮の中を歩いた。

 なだらかになると県境尾根で、正規ルートだからトレールが期待できる。一帯は尾根と言うよりも高原状でどこが正確な県境なのかは分からず、尾根を横切るように北東を目指して道を見つけるのが先決だ。ところがいつまで行っても道を示す目印がない。まさか夏道の場所には冬用の目印は無いのか。とするとこのだだっ広い尾根で荷物をデポしたら見つけだすことなどできない。さあ、どうするか。当初のデポ予定地だった鉄塔は彼方西方にあり、この先で尾根が細くなるところは袴腰山を越えた向こうまではない。思案の結果、袴腰山越えのコースを選択した。もし何らかのトラブルがあって袴腰山まで戻ってくる時間が遅くなった場合でも、すぐ幕営に入れるので安全性が高まるとの考えもあった。ただし、予定通りに戻ってきたときには重い荷物を背負って袴腰山を登らねばならないが。

 そうと決まればこのまま進もう。振り返ると真っ白な会津駒、燧ケ岳、景鶴山、そして至仏山だ。足元も真っ白で赤地さんが苦労した袴腰山も薮の「や」の字も無い。おまけに踏跡も無い。夏道は稜線から外れて1960mピークで水平に巻くようになるのだが、意外に急な斜面なので1985mの肩まで登ることにし、空身で山頂まで往復してQSOを済ませてしまおう。稜線を外れて樹林の中を適当に歩き、1960mピークを左に見ながら高度を上げると肩に到着、標高差5、60mで山頂である。デポした荷物が見つからなくなるとまずいのでロールペーパーで目印を残すが、真っ白な世界で真っ白な紙では目立たないのが泣き所だ。

 

袴腰山山頂

袴腰山から見た黒岩山、赤安山(手前)

 樹林帯を登りきると肩になり、木の密度が低い小広い山頂に出た。南側は見晴らしは良好で日光白根のドームがはっきりと望まれる。四郎岳、燕巣山、物見山、鬼怒沼山等の登った事のある山が並んでいる。そして東には黒岩山が緩やかに横たわっている。ここから見ると意外と近そうに見えるのだが実際にはそれほど楽はさせてくれないだろうなぁ。でも赤安山はすぐ隣で1時間もあれば行けそうに思える近さだ。

 山頂には怪人、佐藤さんが登っているので標識があるはずなのでよく探したが一つも見あたらなかった。まさかペンチマンの餌食になったのか。積雪のために足元が高くなって周囲の状況は良く見えるので、ここが最高地点であるのは間違いない。交信相手に苦労するがなんとか成立する。

 ロールペーパーとアイゼンの足跡を頼りに斜面を駆け下りデポ地点に戻った。次は尾根が細くなったところでアタックに切り換えて黒岩山に向けて本格的に侵攻開始だ。下りは雪の急斜面でちょっと恐いくらいだ。スリップしたら死ぬようなことはないだろうが数10mは停止できそうにない。例によって私が先頭で足場を確保、HQJのスリップに備えて下で少し傾斜がゆるんだ場所で身構える。この滑落対策は有効で1度だけHQJが滑って落ちてきが、こっちのアイゼンの効きが良好なので身をもって止められた。

 難所をクリアすると尾根が狭まって平坦な部分に出た。地形図では1920mの等高線の間隔が広がっている部分で、ここをデポ地点と定めて余計な荷物は持たないようにして出発だ。ワカンはどうするか悩んだがこの先も雪の状態が良好であるとの保証はないので持参が決まった。一気にザックは軽量化され足どりも軽い。デポ地点周辺にはロールペーパーで目印を付けておく。まあ、袴腰山の登りが近づいたら正確に稜線を歩いていれば荷物に鉢合わせするはずだが。

 赤安山への最低鞍部はまだ先で平坦な尾根を歩いたり小ピークを登ったり下ったりの繰り返しだ。シラビソ、ダケカンバの林が続き踏跡、目印の類はないが尾根がはっきりしているので問題なく鞍部に到着した。意外にもここには人工物が設置してあり、棒の先、地上2mほどの所に点滴のビンのような形の金属容器がくっついている。何かと思ったら積雪計だ。どんな原理で積雪を観測しているのだろうか。帰りに立ち寄ったときに耳を済ませると時計の秒針のように規則正しいカチカチという音が聞こえた。

 赤安山の登りも歩き易い雪の斜面が続き、好き放題どこでも歩ける。歩き易い場所を選びながらも尾根を外さないように絶えず周囲に注意を払った。所々、2mくらいの雪の段差も存在したがアイゼンさえあれば直線的に突破できる。無論HQJの為の足場作りは怠らない。前が明るくなって山頂かと思いきや、1980mの偽ピークで先に盛り上がりがある。夏道はこのあたりから稜線を外れるのかもしれないが雪の下では分からない。もう一度登りにかかり、そこが赤安山の山頂だった。

 

赤安山山頂と「KUMO」

 袴腰山同様に一面の雪原で赤地さんが根曲がり竹のまっただ中でしかめ面で写真を撮った様子など想像できない。東西に細長い山頂は北側はシラビソで視界はないがその他は良く見える。今回の「メインディッシュ」、念願の黒岩山は手を延ばせば届くような近さになっていた。計画では2時間を見込んでいるが1時間もあれば登れそうな気がする。ここから見る限りでは山頂西側の登りも緩やかそうに見えるが地形図を見ると急であり油断できない。

 山頂の枯れ木には雪面から1.5mほどの高さに「KUMO」があった。標識はそれ1個きりで佐藤さん、赤地さんの物は無い。赤地さんの標識は無雪期に取り付けたから日光笠ケ岳の標識のように季節に応じて雪から出たり引っ込んだりする「趣のある」標識と化しているのだろう。佐藤さんのものはどうだろうか。「KUMO」が見つかったので深追いしなかった。無線は簡単に3局できた。

 次は黒岩山だ。最も気がかりな天候だが、強い北西の風が吹いているのに高層に薄い雲が出始めていた。気にはなったが天気予報では今日は晴だし、北西の風が吹いていると言うことはまだ弱い冬型で今後急激に天気の崩れる恐れは無いと考えていいだろう。多少の不安はあったがアタックは続行だ。

 赤安山は双耳峰になっていて東のピークを越える。その途中で南側の雪が雪崩のためだろうか、根こそぎ無くなって薮が出ている斜面があった。雪の縁を歩くと崩れて転落する恐れがあるので北寄りを歩いた。下りの尾根は緩やかでやや広くなっており、夏道と合流していると思うのだがそれらしい道筋は分からないし目印も足跡もない。気温が上がって表面が融けていたがここでも雪質は良好で木の周囲を除いてほとんど潜ることもない。まさに残雪期の中でも最高の条件と言って良い。今まで歩いた中では最も歩き易い雪だった。

 ピークをいくつか越えると最低鞍部に到着、黒岩山の登りだ。どこでも適当に登れるが変な所に出ないように三県境界のピークに向かって尾根を正確に登った。傾斜がきつくて私が先頭で斜めにジグザグに登路をとる。初めの方は背の高いシラビソ林を、上方ではその高さが徐々に低くなっていく。木が高ければ人間の背の高さに枝が無いから鬱陶しいこともなく楽に歩けていい。考えてみれば葉の上には雪がなくて体に触れて頭から雪を被ることが無いだけでも相当楽なのだが。木の密度が低いので問題は生じないかな。夏はこの付近も一面の笹に覆われるのだろうが。

 まっすぐ進めばピークに到着するが、山頂は南側に寄っているからと右に巻き気味に鞍部へと向かった。鞍部に上がると目の前に3県ピークがあったのでついつい登ってみたくなってしまった。2度と来ることがないのだからそれもいいだろうと、HQJが視界に入るのを待ってピークに向かった。その時に荷物はデポすればいいものを気づかずに途中まで背負って行った。後ろのHQJには「デポしろー」と叫ぶ。

 ピークは西側がシラビソで見晴らしがないが、その他は良好だった。北側のピークには岩場があって360度の見晴らしがあるだろうなぁなどと考える。しかし計画よりも早く事が進んでいるが今日中に大清水まで帰るのだ、余裕はない。できるならばこのまま孫兵衛山まで足を延ばしたいが、それには往復2時間以上を加算しなければならず、体力的なことも考慮すれば無理はできない。計画段階で孫兵衛山はダメだと出ているのだから。

 さあ、南の黒岩山に向かおう。地図で見るより標高差があるように思える立派なピークで西半分は樹林、東半分は何故か木が薄い。最後の登りにかかると西側は薮があって歩きにくいので雪面をよじ登るが急で危なっかしく、薮との境界線を歩くようにして潅木を掴んで滑り落ちないようにする。そんなことをして壁のような雪を乗り切ると意外にも夏道が出てきた。山頂付近は断続的に雪がなくなり、夏道と共に赤布も有るではないか。久しぶりの人工物で何となく勇気づけられる。

 

黒岩山からのパノラマ展望

 

 到着した2年越しの待望の黒岩山山頂は森林限界を越えたようにハイマツ、石楠花等の低木だけが繁茂し、見晴らしは最高である。ただ、北側の尾根はすぐにシラビソが出現するのでやや遮られるが少し体を動かせばカバーできる。ガスの中だった赤地さんはさぞかし悔しい想いをしただろう。日光の山々は一望の元、やや霞んでいるので南限は赤城山だった。西に目を移すと最も遠くは谷川岳周辺で上州武尊が真っ白な姿を見せている。至仏山の左には尾瀬笠ケ岳がピクンと尖っている。北側は雲が沸き立って会津駒、越後三山は見えるが遠方はダメだが、これだけ見えれば満足できる。西側には赤安山や袴腰山が良く見えるが、袴腰山ははるか遠くに思え、あそこまで戻るのも大変だなぁ。

 

「KUMO」と「達筆」がある黒岩山山頂

 怪人や佐藤さんが来たときと同じで山頂には雪がなかった。日当たりがいいだけではなく雪が風で飛ばされる等の理由で積雪量が少ないのだろう。傍らの潅木には「KUMO」に達筆標識、それに文字が完全に消えてしまった白いプラスティックプレート、そう、これは佐藤さんの標識である。井上昌子の魔の手もここまでは及んでいない。M大の標識はことごとく地面に落ちていたから山頂標識はYAMAルームメンバーの物だけだった。まさかM大の標識は赤地さんが取ったのではないでしょうね。ペンチマンが来たにしては外し易い「KUMO」が残っているのが説明できない。HQJはM大の標識が付いていた木が朽ち果てて倒れたのではと推測した。ここの「KUMO」は同じ日に取り付けられた赤安山と比較して格段に劣化して一部のペイントが剥離しているほどだ。黒岩山の気象条件が厳しい証拠だろうか。

 いつのまにか風も収まって穏やかな天候となった。陽射しも降り注いで防寒着を着れば快適だった。1時間近く無線と休憩を楽しんで念願の山頂ともおさらばだ。もう2度と来ることはないだろうからその風景を脳裏にしっかりと焼き付ける。これで無事帰れれば間違いなく今年の山行の中でも1、2を争う思い出深いものとなるだろう。

 帰りは袴腰山までは往路と同一で、自分の足跡が頼りになるからルートファインディングの必要もない。鞍部に下り尾瀬に延びる稜線へと乗り移ると途中から自分の足跡とぶつかった。ただ、赤安山からの下りでは足跡を無視して尾根に沿って歩いてしまって、気がつくと本来歩くべき稜線が左側に見えていたりした。登りの時は尾根は山頂で合流するので間違えることはないが下りでは枝分かれするから、のほほんと歩いていられない。なんだかんだ言ってもまだまだルートファインディングの技術の完成にはほど遠い。

 赤安清水から苦しい登りが始まり、黒岩山から休み無しで歩いた体で一息入れたい頃にデポ地点に到着した。ここを越えれば尾瀬沼はかなり近くなるし待望の足跡が現れるに違いない。もう少しでルートファインディングの心配から解放されるのだ。時間的にも桧高山には明るい内に登れることが確定したのでゆっくりと休んでから出発した。

 休憩と同時に今後のルートについて話し合った。当初の計画では鉄塔を越えて小淵沢田代の手前の大清水への分岐で荷物をデポして桧高山へピストンして下山する計画だったが、昨日の様子では分岐が分からない可能性が高い。それにピストンには結構な時間が必要だろう。尾瀬沼回りのコースと比較して所用時間はある程度短縮できそうだがルートファインディングをミスると逆に時間がかかるかも知れない。最終的には小淵沢沿いの林道に下る道の分岐がはっきりしていればそこで荷物をデポして桧高山をピストン、分からない場合は桧高山の北側の鞍部まで行って山頂往復、直接尾瀬沼に下って三平峠経由で大清水に戻ることにした。

 袴腰山の肩への登りはジグザグにゆっくりと登り、高原状の尾根を下ると送電線が見えてきた。あの下で巡視道と登山道が交差して標識があるはずだが困ったことに送電線の鉄塔は3本立っているではないか。いったいどれを目指せばいいのだろうか。ここで地図を出して見てみる。まず分かったのは最も高い場所にある鉄塔、つまり最も右側のものは違うということだ。夏道は稜線よりも南側を通過しているからである。さてそれでは2本の内どちらが正解か。その回答は実は地図ではなくて佐藤さんの記事にあった。佐藤さんは最南端、つまり左側の鉄塔に出てから北上して2本目の鉄塔、つまり真ん中の鉄塔で標識を見たと書かれているので真ん中の鉄塔で間違いない。

 鉄塔に到着すると踏跡はなく、今までと変わらないただ一面の雪原だけが広がっていた。残念! しかたなくほぼ水平に尾根に沿って歩いたがこれが失敗の原因だった。地図を見れば分かるのだが夏道は稜線に沿ってあるのではなく下り気味に西に向かっているのだ。それを稜線に沿って巻くように進んでいたため北に行き過ぎてしまい1900mの湿原も通過して(ただの雪原だが木が1本もないのですぐに分かる)、一人ならそのまま進んでしまうところを後方のHQJから行き過ぎではないかとの指摘があって半信半疑で向きを南に変えると、下の方に真っ白な雪原が見えてきた。あれが小淵沢田代に違いない。とすれば正面のピークの左側が桧高山に間違いない。

 田代はただの雪の原だが今までと違って踝付近まで潜るようになり体力の消耗が激しくなった。今考えるとここでワカンを履いた方が楽だったかも知れない。そのまま湿原(雪原)をつっきり1911mピークと桧高山との鞍部を目指すが、体力の消耗はかなり大きかった。次は樹林の隙間を縫うように右手の稜線の様子を伺いながら巻くように鞍部に向けて緩やかに登ると目論見通り鞍部に出た。ここで荷物をデポ、今日最後の山なので奥の手で手早く済ませることにする。鞍部は広いので荷物が行方不明になる恐れがあり、袴腰山のようにロールペーパーで目印を付けながら登る。

 登りの傾斜は相当で、疲れた体ではとても直登できずに林道のようにカーブしながら高度を上げる。帰りはまっすぐ下れるだろう。ようやく急斜面が終わると山頂はすぐそこで枯れ木に「KUMO」がかかっていた。そして日光笠ケ岳や沼上山で見たのと同一形式の標識もあった。ここには佐藤さん、赤地さんは立ち寄っていなので「KUMO」しか無いと思っていたが物好きもいるようだ。見晴らしはおよそ袴腰山と同じ様な感じだったがやや劣る。西側には真っ白に凍結した尾瀬沼が輝いている。

 奥の手でHQJとQSOする前に430で山ランメンバーを呼んでみるとなんと鈴木さんから応答があった。1200に出られないかと言ったのだが通じなかったようでサブの指定があった。そちらに移ったがこちらの信号は弱いようで鈴木さんの信号は充分聞き取れるが話がつながらない。それでもRSレポートの交換はできたからQSOは成立だ。あちらは赤城の黒桧山、駒ケ岳の帰りでこちらからみると赤城山の反対斜面を下っている最中でSが弱いのだ。HQJと交代したが尻切れになってしまった。ハンディーではパワー不足でこちらの信号が届かない。それではと奥の手で止めを指す。

 これで予定の山全てを回ることができた。あとは大清水に向けての帰りだ。最後の難所が三平峠の登りで、それさえ乗り切ればあとは下りだ。ハンディーを袋にしまってロールペーパーの目印と自分の踏跡を頼りに雪の急斜面を踵でブレーキをかけながら下ってあっと言う間にデポの荷物を発見し、鬼怒沼に向けて直接下る。しかし雪の状態が思わしくなく足首まで潜る。いつのまにか方向が北寄りになっているので西に修正、小さな尾根に沿って下っていくとエンジン音が聞こえてきた。尾瀬では車道はないはずだから車の音ではなく、小屋の除雪機の音だった。

 

氷結した尾瀬沼

尾瀬沼から見た燧ヶ岳

 そこからは電線をくぐって尾瀬沼の水辺、と言っても結氷して雪が積もり、雪原が広がっているので水は見えない。その向こうには燧ケ岳。あれに登ったのは2年前の8月だったなぁ。まだまだ雪が深そうだ。沼の上を岸に沿って歩くと待望の足跡が出てくるが、幅広い範囲に足跡が散らばってトレールになっていない。雪の状態は悪くて潜るし足元が安定しない。これだけの人数が50cmくらいの幅で同じ道を歩いて入山すればしっかりしたトレールができてもっと楽に歩けるのにどうしてそうしないのか理解できない。本当にワカンを履こうと思ったほど疲れた(今思えば履けばよかった)。足跡があるのに疲れるとは皮肉なことだ。

 尾瀬沼を通過して三平峠への登りが始まると足跡が収束してトレールになり歩き易くなったが、体力の限界に近く足が前に進まない。そうだ、アイゼンを履いたままだった。今日の朝幕営地点を出発してから今までずっとアイゼンを付けたままだが、桧高山の下りからはアイゼンは不要だったのに余計な重りを足に付けたままでは体力も消耗する。イゼンを脱ぐとかなり足が楽になった。ただ、靴底のすり減った山靴ではよくスリップするが。

 コケないように注意しながら峠に到着、たまらず休憩だ。行動中の燃料源であるキャラメルをなめる。これから先は登りはないと思うと少しは元気が出てきた。ただ、まだまだ水平距離はあり大清水まで2時間ほどかかるだろうが、暗くなる前には車にたどり着けそうだ。

 体が冷えてきたので出発、下りでは頻繁に滑るが、逆にそれを利用して連続的に滑り降りる。慣れると歩くよりも楽に下れるが、急な傾斜ではブレーキをかけるのにコツがいるので無理はできず潅木につかまりながら下った。もうこの時間では登ってくる人も皆無で2人だけで淡々と下った。

 待望の林道が見え林道歩き開始かと思ったら、歩道は林道を横断して沢沿いに付けられている。この方が林道を歩くよりも距離が短くて済むのだ。ここでも靴を滑らせながら下ると一の瀬休息所に到着だ。まだ時期的には早いのか、それとも時間的に遅くて閉店したのか営業していなかったが、自動販売機は動いていて350ccの誘惑にかられた。

 最後の休息を取って出発、除雪された林道だが傾斜があるので登りは大変だろうなぁ。尾瀬沼への入山は反対側の沼山峠の方がよほど楽に違いない。いつ果てるともなく続く林道を疲れきった足で下ると左側から奥鬼怒スーパー林道が姿を表した。これと合流するところが大清水の駐車場だったからもうゴールは近い。カーブを曲がると24時間ぶりになつかしの車が目に入った。とうとう無事に戻ってこられたのだ!2年がかりの念願の黒岩山はついに成功した。

 ザックをトランクに放り込んで着替えを済ませて帰路についた。鎌田で片品村の浴場に入って汗を流し(たぶん¥500だったと思う)、コンビニで弁当を買って腹ごしらえ。天候にも恵まれて今年の「目玉企画」の一つが大成功で満足の一言だった。そして早くも来年の残雪期は1泊で佐武流山と決まった。

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