南ア南部 徳右衛門岳  2003年10月4日

 

 徳右衛門岳の名前を知っているとしたら、その人はよほどの南ア通だろう。この山は二軒小屋〜蝙蝠岳間の尾根上にあり、きちんとした登山道もあるが、場所が半端なところなのでほとんど歩く人がいない。通常、マイカー族であれば畑薙ダムから東海フォレスト送迎バスを利用して椹島から千枚小屋に登るか、二軒小屋に入って万斧沢ノ頭経由で荒川岳に登り、赤石岳に立ち寄って椹島に下る周遊コースを歩く。徳右衛門岳から蝙蝠岳に登ると畑薙ダムに戻るにはそのまま蝙蝠岳から下るか、塩見岳を越えて三伏峠経由で荒川岳に登り返し、千枚小屋若しくは赤石小屋経由で下山するロングコースとなってしまう。また、二軒小屋に入るだけでも送迎バスを利用してもかなり時間がかかるし、送迎バスを使ってしまうと何が何でも二軒小屋に泊まって2食付きの飯まで食わなければならない。金と時間がかかり、特に時間の制約がきつい。このコースで週末2日で徳右衛門岳を往復するとなると、朝一の送迎バスで二軒小屋に入り、その日の内にアタック装備で蝙蝠岳を往復して二軒小屋に宿泊し、翌日送迎バスで帰る行程だろう。時間に余裕を見るなら初日は二軒小屋に入るだけにし、翌日蝙蝠岳往復で二軒小屋に泊まり、3日目に下山だ。

 そんなわけでアプローチが悪いし半端な場所にあるので山ランでも武内さんしか登っていない「武内級」の山である。私にとって南アで登山道がある山では唯一登っていない山であるし、標高も2600m近く、お山の大将に含まれる山だから登りたくもなる。敷居を高くしているのはあくまでアプローチの問題であり、山の難易度としては低い。アプローチをどうするか、日程をどう組むかを考えれば送迎バスを使わなくても土日で登れない山ではない。

 二軒小屋の送迎バスを使わない場合、どんなルートが考えられるだろうか。最初に思い浮かぶのは田代から転付峠経由で二軒小屋に降り、徳右衛門岳を往復して再び転付峠に登り田代に戻るコースだ。難点は往復とも転付峠を越えるから帰りにもかなりの登りが入ってしまうことだ。田代の標高は低いのでそれなりのアルバイトが必要だ。

 もう一つの案は鳥倉林道から塩見岳に登り、徳右衛門岳を往復するプランだ。転付峠経由より距離はあるが、鳥倉林道ゲート登山口は標高約1800mもあって思ったより標高差は無いはずだ。もしかしたら転付峠経由と変わらないかもしれない。なお、武内さんはこのコースで徳右衛門岳に登っている。このルートでは三伏山、本谷山、権右衛門山、塩見岳、北俣岳、蝙蝠岳もおまけに稼げるのが魅力だが、私はこれらは全て山ラン報告済みなのでこだわる必要はない。単純に体力的に楽なルートを選ぶだけだ。

 そこで地図で調べて往復の累積標高差を計算してみた。その結果、転付峠経由で約2900m、鳥倉林道で約3100mとなった。どちらも3000m前後で大差ない数字だ。しかし、歩く距離から言えば転付峠の方が圧倒的に短いし、鳥倉林道だと行き帰りとも細かいアップダウンが連続し、精神的に非常に疲れることが予想された。同じ登り返しならまとまって登り返してでも1回でおしまいの方がいい。それに鳥倉林道から登ったら、いくら頑張っても幕営地点は雪投沢だろう。超強行スケジュールを組んだとすると初日で北俣岳で荷物をデポしてアタックで徳右衛門岳ピストン、雪投沢で幕営し、翌日に塩見岳を越えて帰ることになる。初日の累積標高差は約2500m。それに鳥倉林道は東京からえらい遠い場所にあるので行きも帰りもかなり時間がかかる。2日目に雪投沢から登山口まで戻って東京に帰ると深夜だろう。ついでに初日は登山口到着は夜中1時前後と予想され睡眠時間確保が難しい。明るい内に雪投沢でテントを張るには夜中に出発しないと無理だろう。

 それに対し転付峠経由だと車の走行距離が短く、それなりの睡眠時間の確保が可能だ。それに次のようなプランが立てられる。初日で二軒小屋にテントをデポして空身で徳右衛門岳を往復する場合と、徳右衛門岳直下の水場までテントを担いで幕営し、翌日下るパターンだ。初日に二軒小屋まで戻るのはかなりな強行スケジュールだが、行程の半分まで達した時点で空身で往復になるので、そのままテントを担ぐよりもかえって楽かもしれない。初日の標高差は約2300m、私の足なら日帰りできない距離ではない。ただし、鳥倉林道と同様にかなりの所要時間が必要なので真っ暗闇の中を出発しないとテントに戻ったら真っ暗闇になってしまう。

 もしくは私の体力限界ギリギリの挑戦になるが、武内さん並みに日帰りを強行するかだ。標高差3000mの日帰りは経験がないが、先週の光岳でも2400mのアップダウンでまだ余裕があった。それも幕営装備で2/3程度登ってである。軽量の日帰り装備にして充分ペースを落として歩けばできないことはないかもしれない。それにこの方法だとどうしても疲れてダウンした場合は二軒小屋に素泊まりという手がある。もちろん二軒小屋から先はアタック装備で往復する。この場合、標高差から想定される所要時間は16時間くらいであろうか。いや、標高差3000mの疲労を考慮するともっとかかるだろう。

 そんなわけで、たった1山のために2日をかけることにした。最初は金曜午後に休みを取って出かけようかと真剣に考えたが、初日の想定時間を13時間とすると朝4時に出発すれば何とか明るい内に二軒小屋に戻れる。終業後どんなに早く帰って準備をしても出発はPM6時を過ぎ、かっ飛んだとして登山口到着は早くてもPM10時だろう。いくら鳥倉よりも登山口が近いとはいえ、国道52号線を早川町まで南下し、北上し直さなければならない。最低でも3時間はかかるだろう。土曜日の強行スケジュールを考えると、本来ならば夜中の2時には出発したいが、今回はまともな登山道があるコースなので、帰りに暗くなっても問題なかろう。それに明るい時間に一度歩いたコースを戻るのだからなおさら迷う心配はないだろう。ただ、時間が遅いと疲労しているところに寒さが加わるので休憩するときがやっかいだ。

 強行スケジュールなので荷物は最低限に減らした方がいい。先週同様、運用する山の数が少ないので6mはやめることにする。これで1kgの削減。ついでに今度のコースは転付峠を歩く最中は水がたっぷり得られるので水筒は空のままでいい。先週は1リットルの水を担いで結局飲まなかったが、今度はその1kgも削減できる。これで2kgの軽量化だ。ただ、先週の幕営は夜中寒くて熟睡できなかったので厳冬期用シュラフに変更する必要があるかもしれない。しかし、幕営予定の二軒小屋は光岳小屋より1000m以上標高が低いから先週のような寒さはないかもしれない。悩んだ末に長い夜は快適に過ごせた方がいいので重さを覚悟して冬用シュラフで行くことにした。その代わり行動中は着ることがないセーターを置いていくことにする。

 木曜日に全て準備を済ませて会社が終わったら即出発できる体制を整え、金曜は会社の終業後宴会をキャンセルしてすぐに帰り、銭湯に入って買い物を済ませ出発、PM6時を少し回ったくらいだった。中央道で甲府南ICまで走り、市川大門を抜けて国道52号線に出て南下、既に何度も通った県道で早川町を西に北にへと走り、2連続するトンネルの間にある田代入口バス停を右に曲がれば転付峠登山口へと続く林道が始まる。ここは2度歩いて2度車で来ているので問題なし、ただ今年は雨が多く崩れて通行止めになっていないかだけが心配だったが、荒れたところはあったが車の走行に問題はなかった。東京から3時間で登山口に到着した。登山口には松本ナンバーの車が1台きり。空いている平坦地に車を置いた。ここは2台くらいしか置けないが他に路肩に駐車可能である。まあ、椹島のバスが無くならない限りここがいっぱになることは無いだろうが。木の隙間から星空が見えていた。明日もいい天気だろう。

 PM10時過ぎに寝てAM2:30起床。飯を食って3:00過ぎに出発した。当然真っ暗なのでヘッドライトのお世話になる。1,2年前に歩いたときにも既に設置してあったが、「この登山道は崩壊のため通行禁止」の看板が出っぱなしだった。いいかげん撤去しろよな。その横には東電監視道改修工事中なので注意して通行するようにとの看板も。そう、ここは登山道というより東電の監視路なのである。だから崩壊しても改修せずに放っておくことはないのだ。

 1級の道なので信濃俣のように迷う心配はあまりない。ただ、沢沿いで河原を歩いてどこかで沢から離れる場所のみ要注意だ。まあ、踏み跡の雰囲気でわかるが。途中、沢の増水時対策用か新たに高巻き道を開設中の場所があり、濡れた石で足を滑らせコケて膝と肘を擦りむいたがたいしたことはなく、途中の沢で傷口を洗っただけで大丈夫だった。いくつもの橋を越えて主に左岸を歩いていく。橋には番号が付けられていて、No.90くらいまであったと思う。

 出だしの体調は普通であったが、歩くに従ってふくらはぎの疲れが感じられた。先週の疲労が抜けきっていないのだろうか。太股の疲労とは違って極端に足が重いとは感じられないが100%の体調でないのは違いない。さて、今日の強行スケジュールにどこまで耐えられるか。ま、テントを背負っているので水さえあれば適当なところで寝られるけどね。

 真っ暗闇の中に煌々とライトが輝くのが見えてきたら東電巡視小屋が近い。以前歩いた時はここで明るくなっていたがまだ夜明けまで1時間ある。電灯の明かりの下で休憩する。やっぱ本物の照明器具の明るさは乾電池のヘッドライトの比ではない。これくらい明るければ迷わないだろうなぁ。監視小屋は1棟しかなかったように記憶しているが、巡視路改修工事で工事業者が常駐しているのかプレハブ小屋が2つか3つできて、仮設トイレも設置されトイレ内部の照明はつけっぱなしだった。缶ビールの空き箱に目がいってしまう。麻布の袋にはゴミ類がいっぱいだった。ヘリで運搬するらしい。BSアンテナが上空を向いている。驚いたことに仮設の風呂まであるのだ。1m四方ほどのささやかな湯船が2つ。今は寝静まって人の気配は感じられないが何人か中で寝ているのだろう。水道で水を補給した。

 10分ほどの休憩で出発。まだ標高が高くないのでそれほど寒さは感じない。保利沢にかかる吊り橋を左に見送って沢沿いに高度を上げる。徐々に空が白んできたがまだライトは必須だ。ライトがついた取水堰を通過しなおも沢沿いに登っていく。そろそろライト無しでも歩ける程度まで明るくなったところで沢から離れて山肌に取り付く部分に到着、休憩する。水はこの先転付峠まで無いので飲んでおく。

 転付峠までは主にカラマツの植林地帯だ。ジグザグに付いた道を登っていく。良く刈り払いされた登山道で半ズボンのままで全く問題がない。時々鹿のピッという警戒の鳴き声が響く。ジワジワと高度を上げ沢音が聞こえてくると水場だ。たぶん冬も涸れることはない水量だ。その近くに造林小屋?があったのだが、みごとにつぶれて残骸になりはてていた。掘っ立て小屋だったが雨風をしのぐには充分だったのだが残念。平地があって幕営に最適である。

 そこからすぐに無人の転付峠に到着した。いつ来ても登り切ったら車道が出てくるのはいかんなぁ。ただ、車が入っている雰囲気はなく、もう廃林道の仲間入りだ。峠から南は完全に廃林道と化して両側から笹がはみ出している。この稜線沿いの林道は南の端から奈良田越まで歩いたことがあるので様子はよく分かっているが、奈良田越から南は崩壊箇所があって車は通行できない。たぶん補修することはないだろう。峠ではザックを投げ出してその上にひっくり返った。上空は青空に薄い雲が速い速度で東に流されていく。こりゃ高い稜線だと強い西風かな。

 休憩を終えて林道を南下、すぐに西へと下る笹の広い切り開きがあり二軒小屋の案内標識がある。峠には旧道があるが崩壊したのか今は通行禁止である。シラビソの深い森をジグザグに下っていく。あ〜あ、せっかく登った標高を600mも下ってしまうのだ! 峠から徳右衛門岳まで尾根がつながっていれば600m登れば山頂なのだが、600m下ってしまうから1200m登らなくてはならない。しかも帰りにまた600mの登り返しが待っている登山者泣かせのルートだ。東電さんよ、導水路掘るくらいなら人1人が通れるだけの大きさでいいから峠を貫くトンネル掘ってくれよ〜 木の隙間から徳右衛門岳がはっきりと見えている。思ったよりも近そうだ。

 下っている途中で単独行者2人とすれ違った。1人は峠の水場のことを聞いてきたから松本ナンバーの主ではなくどこかから縦走してきたに違いない。一体どこからやってきたのか? もう一人は挨拶を交わしただけだったが私よりも若そうだった。送迎バスを使わないで転付峠越えをするのだから筋金入りの登山者に違いない。なお、私が戻ってきても松本ナンバーは止まったままだったのでこの若者もどこからか縦走だった。

 二軒小屋の水場がどこにあるのか探すのに手間取ることも予想されたため、手前の沢で水を補給したが、小屋直上の給水タンクからオーバーフローする豊富な水があったのでそこで水が補給可能だった。二軒小屋ロッジ?前に飛び出し、広い芝生のベンチでしばしの休息。ここがテント場らしいがテントは一張りもない。ここからアタック装備に変えるので大ザックはデポだ。持ち物はゴア、長袖シャツ、昼飯、水にロングスパッツだ。リグはウェストポーチのVX-5のみ。徳右衛門岳1山だけだから十分だ。

 いつの間にか空は鉛色の雲に覆われていて、いつ雨が落ちてきてもおかしくないような空模様になっていて少々不安になる。こんな予報ではなかったので傘は持ってこなかった。大ザックにザックカバーをかけて、雨を避けられるよう木の下に立てかけた。さあ、徳右衛門岳向けて出発だ。ここには何時に戻れるだろうか。

 林道に出ると舗装道路。大井川対岸の崩壊地治山工事の車両が何台も止まっている。小さな橋を渡った先に施錠された門があり、一般車がこの先入って何かあっても責任は持てない旨の看板が出ていた。ん? これは自己責任で入ってもいいってことか? しかも橋の手前には二軒小屋利用者用駐車場なんて看板も出ていたし。ここまで車で入れたらいいのになぁ。舗装道路を歩いて坂を上ると田代ダム。ここで水が山梨側に送水されているはずだ。ダム湖は土砂が堆積して底が浅いが絵の具を溶かしたような真っ青な水だった。二軒小屋トンネルを抜けると千枚岳登山口がある。昔は二軒小屋近くにあったのだが、斜面が崩壊して迂回路が設けられ登山口が遠くなってしまった。蝙蝠岳登山口はまだ先なのでそのまま進む。後ろからダンプとワゴン車が追い抜いていく。東俣にかかる橋を渡って分岐を右に下り沢沿いに進むと索道のワイアー巻き取り機がデンと置かれている。そこが蝙蝠岳登山口だった。もちろん標識があるので見落とすことはない。索道は蝙蝠尾根上にある施設の保守工事に使われているようだった。

 尾根に取り付くとはっきりした道で間違う心配はなく、目印も頻繁に出てくる。周囲は藪がない樹林で自由に歩くことができるが踏み跡をたどった。尾根に乗ると最初は岩を乗り越え、その後はシラビソ樹林が続く。相変わらずはっきりした1級の道だ。ここを歩く人は少ないはずだが刈り払いはほぼ完璧だ。まあ、シラビソ樹林だから刈り払いしなくても藪はないけどね。

 ほどなく中部電力の施設に飛び出した。こんな尾根の上にあるコンクリートの巨大な施設は一体何なのか分からない。削られた法面に着けられた鉄の階段で尾根に上がった。ここは樹林が開けてGPSを受信できるので高度を確認、1737mだった。高度計を校正する。二軒小屋の標高が1400mなので、400m登った1800mで休憩しよう。左手には西小石岳の尾根が延び紅葉していた。2ヶ月前に登ったのが遠い昔に感じる。

 再び樹林に入り、静かなシラビソの森を高度を上げる。あまり疲れを感じなかったので標高2000mまで登って休憩した。傾斜は適度でいい感じだ。いつのまにか上空は再び青空が戻っていたが樹林中なので日差しはない。まあ、雨の心配が無くなっただけでもいいか。気温は低く、体を動かしていないと日影では寒いくらいだ。ほとんど汗をかかないので助かる。

 2216m肩を通過しなおもシラビソ樹林を登っていると前方でガサゴソ音がして何やら動物が私の気配を察して登山道から逃げている模様だ。鹿が逃げるにしては足が遅いのでカモシカかな?と思ってそちらの方を見たら、何と予想外の真っ黒の物体が。そう、ツキノワグマだったのだ。私が見た熊の近くでもガサゴソ音がしていたのでその数少なくとも2頭。鹿のように快速で逃げることなくカモシカのように悠々と去っていった。奥秩父に次いで今年2回目の遭遇、いや、奥秩父では往復に見たから正確には3回目か。生まれて初めて野生のツキノワグマを見てから1ヶ月でまた見るとは思いもしなかった。距離は50mくらいあったので双方危険距離とは感じなかったのか。私も少々肝を冷やしたがヤバいとは思わなくて済むくらいの距離だった。その後はまた熊が出ると心臓に悪いので時々口笛を吹いたり手を叩いたりしながら歩いた。こんなのだったら鈴付けてきた方がよかったなぁ。まさか南アで熊なんて考えもしなかったからなぁ。

 順調に高度を上げて2410mピークを通過、高度計は2500mをさしていたので間違えてしまったが次に本物の2509mピークが出てきて判明した。2509mピークを下ると水場分岐でペットボトルが木にくくりつけられていた。水は間に合っているので水場の様子は見てこなかったが縦走者には貴重な水場のはずだ。そこから登り切ったところが山頂で、直下から山頂にかけて樹林が切れて草が生えているので本物の山頂だとすぐに分かる。そして南ア南部によくある静岡県が設置した標柱が立った徳右衛門岳山頂に出た。

 樹林は東西方向に切り開かれ、西側は荒川岳、板屋岳、大日影山、小日影山、小河内岳、前河内岳、東側は少し下れば奈良田越、白剥山、笹山、白河内岳、そして広河内岳はガスに隠れていた。蝙蝠岳はギリギリ見えたが塩見岳は雲の中なのか見えなかった。足下には三角点があり、山頂標識は無い。静岡標柱は二軒小屋、蝙蝠岳の所要時間は書いてあるが現在地が書いてなく、そのため誰かが手書きで「徳右衛門岳」とマジックで書き加えてあった。まあ、三角点があるので間違えることはないだろうが。三角点の櫓の残骸だろうか、木材が転がっていた。

 さて、記録によるとここにはKUMOがあるはずだ。それも山頂名を書き間違えた唯一のKUMOが。徳右衛門岳しかなかったら武内さんが間違えることは無かっただろうが、塩見岳西側には「権右衛門山」という、これまた似た人名の山があって、「徳右衛門山」と書いてしまったのだ。誰か回収してくれないかなんて冗談で書いてあったが、まじめな武内さんだから間違った標識をそのままにしておくのは恥ずかしいのだろう。だったら私が回収しようと張り切っていたのだ。しかし周囲を見渡してもKUMOがない。ここもペンチマンの餌食になってしまったのだろうか。それとも付けた木が倒れたか伐採されたかで落ちているだろうか。山頂はさほど広くないのであちこち地面を探していると、東側の倒れた木に混じっていつもの灰色電線が目に飛び込んで、それにはKUMOがついていた。よかったぁ、発見できた。長期間湿った地面に転がっていたのでペンキの劣化が激しいが未だ文字が読みとれた。武内さんの証言の如く徳右衛門"山"になっていた。ちゃんと木にくっついていた頃に付けられたのだろう、色落ちして白くなってしまった赤布のおまけもあった。よしよし、これでおまけの目的が完了した。

 さて無線だ。6mは無いので144/430の出番。まず1発目にサブをワッチすると両バンドとも「普通のQSO」は聞こえなかった。メインで一声ずつ出すが応答がなく、パワーを上げて石川さんや植野さんを呼ぶが応答はなかった。どうやら荒川、赤石でブロックされてしまうらしい。再度サブをワッチすると430で普通のQSOをしている局が見つかり、QSOが終わるのを待ってコールし無事QSOできた。浜石岳直下の駐車場からと言っていた。こちらは曇って寒いくらいだがあちらはドピーカンで暑いとのこと。この分なら天気は大丈夫だろう。その後も何回かメインで関係者を呼んだがコールはなかった。

 これで無線の予定はおしまいだ。何とも寂しい限りだが残りのアルプス級の山はこんなものだろう。写真を撮って登ってきたばかりの道を下山開始。口笛、手叩きで熊に居場所を知らせながら歩き、鹿を見ただけで林道まで下った。結局、蝙蝠尾根では熊と鹿を除いて誰とも会わなかった。

 土曜日は半ドンのようで工事業者の姿はなくひっそりと静まりかえっていた。二軒小屋到着は午後2時。まだ時間があるし、足も疲労は酷くないのでせめて転付峠までは登り返せるだろうと二軒小屋幕営の予定を返上し、ベンチの上で30分ひっくり返って休憩した。私が休むときは普通に座っているが、今回の経験ではどうもひっくり返った方が疲れが取れるような気がする。武内さんの記述ではひっくり返って休む様子が頻繁に登場するが、長時間歩行のコツの一つかもしれない。雲の隙間から時々日が差すのでTシャツ半ズボンの姿に長袖シャツを掛け布団にして寝ていても快適だった。

 さあ、600mの登り返しだ。既に2300mの累積標高をこなし、幕営装備を背負ってだからスピードは出ないだろう。2時間見よう。2時間かかっても4時半に転付峠着だから日没まで1時間半ある。疲労の具合によっては車まで戻れるかもしれないと考えるようになった。おそらく峠から3時間で戻れるから真っ暗になってしまうが行きも真っ暗な中を歩いたのだから体力さえあれば問題はない。これだとテントを持ってきた意味はタダの体力作り意外の何者でもなくなってしまうが、明日は用事があって早く帰れるほどいい。まあ、峠に着いた時点の疲労度で考えよう。

 登り始めるとなんと足が軽いことか! 徳右衛門岳から2時間歩き続けて3O分休憩したが、その30分で完全復活していた。いとも簡単に標高差300mを登り、そろそろ燃料切れになるかとヒヤヒヤしながらも峠に着いてしまった。これはいったいどういうことなのだろうか。まるで羽が生えたような軽さだった。この調子なら下り3時間はバテバテにならずに車まで歩けそうだ。

 その後の反動が恐ろしいので峠で少し休憩し、登山口を目指した。順調に高度を下げて沢に出たところで僅かにかいた腕の汗を洗い、沢沿いにどんどん下っていく。まだ明るい内に東電管理施設に到着、まかないさんが風呂と食事の準備をしていた。こっちはまだ1時間半歩かないと車に着かない。休憩するほど疲れていないのでそのまま通過した。橋の番号が減っていくのがゴールへの道しるべで唯一の楽しみになるが、橋の設置場所はまとまっているので比例関係ではなく、現在地の把握にはあまり役立たない。登山口の位置はGPSに入れていないし、たとえ入れていてもこの谷では衛星が見えなくて受信不可だろう。朝来るときは真っ暗だった場所に滝があった。音だけで何も見えないので凄い激流の横を歩いているのかと思ったら滝だったのか。だいぶ暗くなってきてデジカメのフラッシュが光ったが、滝まで光は届かないので真っ暗けな写真だった。

 とうとう5時半を過ぎると樹林ではライトがないと歩けない明るさになり、今シーズン初めて歩き出しと到着時ともライトを使うことになった。そして田代発電所の光が見えてくるとまもなく登山口に到着、車は朝と同じで松本ナンバーがいるだけだった。

 とうとう標高差2900mを日帰りしてしまったのだ。一つの山で登山口からてっぺんまでこんな標高差の山は存在しない。早月尾根から剣岳、黒戸尾根から甲斐駒でも標高差2200m、富士吉田から富士山に登れば3000mくらいあるか。そのくらいの登山と同じことができるのだ。まだ体力はあるから500mくらいの登り返しはできそうで、今日の体調は出だしはダメだったが後半になるほど尻上がりだった。所要時間は15時間、エアリアマップのコースタイム合計が何時間か知らないが、自己ベストを大幅に更新する労力だったのは間違いない。今後は荷物を減らせば3000mの累積標高差でも行けそうで、これなら常人の2倍の行程を歩けそうだ。半分武内さんの世界だな、こりゃ。いつもこのような調子になるのか、今日は特別なのか不明だが、これからは日帰り不可能と思っていたコースでもどうにかなる可能性が高くなったぞ。

 まだPM6時なのでいつもの草塩温泉はおそらく開いているだろうと踏み、このまま車でひっくり返るのはやめて軽く着替えて車を運転して草塩温泉に直行、涼しくてあまり汗をかかなかったがさっぱりし、湯に浸かって暖まった。登りでコケて擦りむいた傷に温泉がしみて痛かったが、効能に切り傷等もあったので治りが早くなるだろうか。

 まだ眠くないのでこのまま市街地に出て増穂町のスーパーで買い物をして市川大門町の碑林公園駐車場で寝た。明け方、まだ暗い内に起きだして甲州街道を東進、早朝でガラガラだったので中央道を使わないで小金井まで帰った。そして散髪して溜まった新聞を読み、武内さんの所に「徳右衛門山」のKUMOを届けに行った。


3:09田代発電所上部駐車場−3:55巻道でコケる−4:38保利沢出会−4:49出発−5:08取水口−5:21休憩&ヘッドライトを消す(沢から離れる)−5:26出発−6:25水場−6:36転付峠(休憩)−6:48出発−6:51林道から登山道に入る−7:13人とすれ違う−7:34水汲み−7:39二軒小屋着−8:00二軒小屋発−8:02林道−8:05田代ダム−8:09二軒小屋トンネル−8:10千枚岳登山口−8:19蝙蝠尾根登山口−8:36尾根に乗る−8:55発電施設?−9:01発電施設階段を上りきる(1737m)−9:33休憩(2033m?)−9:43出発−10:23 2260m付近でツキノワグマを見る−10:39 2410mピーク−10:56 2509mピーク−11:03水場分岐−11:10徳右衛門岳着−11:14KUMO発見−12:05徳右衛門岳発−12:10水場分岐−12:16 2509mピーク−12:35長袖シャツを脱ぐ−13:18発電施設?−13:44蝙蝠尾根登山口−13:54千枚岳登山口−14:05二軒小屋着−14:36二軒小屋発−15:51転付峠着−15:59転付峠発−16:30沢に出る−16:51東電巡視小屋−17:22滝−17:40ライトを付ける−17:49発電所の光が見える−17:52登山口


注:KUMOとはJA1JCAがその昔取り付けた山頂標識。長さ20cm、高さ5cmくらいの木製で茶色の下地に白い文字で山頂名とKUMOの署名が書き込まれている。マイナーな山に多いが「ペンチマン」なる手製標識撤去を趣味とする連中に取られてしまって生き残った標識は僅かである。ほとんど人が登らない(登れない)山にはまだある。JCAの活動範囲は1エリアと長野、静岡、福島あたりなので東海、関西には存在しない。例外で札幌に数山存在する。

 

徳右衛門岳 写真集


 

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