劔岳北方稜線 毛勝山,釜谷山,猫又山,赤谷山,白萩山 2003年10月11日

 

車道終点〜ブナクラ峠 ルート断面図

ブナクラ峠〜毛勝山 ルート断面図 ブナクラ峠〜白萩山 ルート断面図

 

 1エリアで山登りをしている人の大半は「毛勝三山」の名前を知らないだろう。場所は剣岳の北側で剣北方稜線の続きである。標高は2400m台となかなかのものだが、つい最近まで登山道がない藪山だった。毛勝山は200名山に数えられ、その名を知っている人がいるかもしれないが、主に残雪期に登られる山だった。その南に位置する釜谷山、猫又山はさらにマイナーだろう。赤ハゲ、白ハゲに至っては知っているのは地元民かよほどのマニアとしか言えない人種だろう。一般登山の範疇ではない。

 私がこの領域に興味を持ったのはかなり古い時代だ。なにせ1エリアから飛ばない魚津市の最高峰なのだから無線屋魂を引きつけないわけがない。6mで出ればパイル確実だろう。ただ、地図を見ても登山道はないし、300名山でも残雪期の記事が紹介されている程度で、その当時から登れるとは思っていなかった。しかし、数年前に購入したガイドブックにはブナクラ沢から猫又山に道が記載されていたし、武内さんが続100名山の執筆で夏に毛勝山に行ったら簡単に登れ、しかも猫又までピストンしているではないか。その他に山ランメンバーではDJFとJPVのいつもの強者が1日で回っている。エアリアマップには書かれていないが、インターネットで調べてみるとブナクラ沢にはまともな道があるらしい。しかも無雪期にブナクラ峠から剣岳まで縦走した記事まである。これならブナクラ峠を起点にして毛勝山、白ハゲを振り分けて登れそうだ。もちろんテントで1泊の予定だ。

 最大の問題は登山口までの距離である。富山まで高速を使っても400kmは下らないし、高速料金も1万円近いので、おいそれと行ける場所ではない。土日では車の移動時間確保が難しく、かなりの睡眠不足が予想され、最低3日が必要と考えた。それに標高が標高なので真夏に行ったら暑さで死んでしまうだろう。順当に考えれば涼しくなった秋が最適だ。そんな理由で体育の日の3連休に出かけることにした。本当は南ア南部の東聖岳、白蓬ノ頭を考えていたのだが、実行日が近づくにつれて前線が北上傾向を示し、南ほど悪天が予想されたため北にある毛勝三山に変更したのだった。

 出発に先立ってインターネットで情報収集し、あまり藪は無いらしいと読みとれた。また、登山口の状況も頭に入れる。これが現場で役に立った。

 金曜午後は会社を半休し、睡眠時間確保&高速をできるだけ使わずに金節約に午後を費やした。真っ昼間に中央道を松本まで走るのは初めてかも? 天気が良くて勝沼に出るといきなり南アが目に飛び込む。右の甲斐駒から遙か遠くで頭しか見えない聖岳まで3000m峰のそろい踏みだ。ただ塩見は見えないが。笊ヶ岳の双耳峰は目立つ。韮崎から北上すると甲斐駒西側稜線の山々が姿を見せ、場所によって見え方が変化する。この夏登った烏帽子岳が懐かしい。もちろん鋸岳や横岳もバッチリ見える。さらに進むと八ヶ岳も北から南まで全部見えるではないか。しかしもうここには登り残しがない、いや、今度の新コンサイスで小同心が載るようなのでまた行くチャンスがあるか。松本が近づくと槍穂が見えてくる。下界から見るのは初めてかもしれない。少なくとも槍穂に登ってからは初めてだ。以前は北アルプスは全く分からず、群馬の山から白い壁が見えても山岳同定は全くできなかったが、今なら槍穂や鹿島槍を起点としてほとんど同定できるだろう。

 松本で降り、安房トンネルを抜けて平湯温泉(\500)で暖まり、国道471号線→国道41号線と本州を縦断して富山に入り、上市町から県道46号線を走って早月川に沿って上流に向かい、馬場島の駐車場に到着した。しかし、登山口がどこなのか分からない。案内看板ではこの付近になっているので近くにあるはずだ。少なくともブナクラ沢に沿ってあるはずで、どこかで沢に降りるはずである。まだここは左岸の車道だ。もう少し上流まで走りながら沢への取り付き点を探してみることにした。

 

ブナクラ沢の林道分岐(左が正解) 林道終点のダム ダム直下から見た林道終点駐車場

 

 駐車場から出るとすぐに左の沢の方へ入る砂利道が現れた。通行止めと書かれているがゲートはなく、しかも多数の車が出入りしている雰囲気の道で通行に問題なさそうだし、猫又山等の案内も出ているではないか。これで間違い無しと車で進入した。しかし入った後は全く標識が無く、もし車道の途中で登山道が始まっていたら夜間では絶対に分からないだろう。まだかまだかと周囲に注意を払いながら運手していると困ったことに林道が分岐していて、しかも標識はない。現在位置もよく分からない状態で判断が難しかったが、駐車場に出ていた看板だと沢は途中で2分岐し、左側がブナクラ沢だったはずだ。直進する林道がそちらなので入ってみた。相変わらず何の標識もなく、砂利道で高度を上げる。やがて石積の堰堤で車道が終わっていた。車を止めて偵察してみると堰堤左に踏み跡がある。ヘッドライトを持って偵察に行ってみると堰堤を越えた後もはっきりとした踏み跡が続いていた。たぶんここでいいのだろう。まだこの時点では100%の確信はなかったが、インターネットの記事を思い出したおかげでここが登山口に間違いないことがはっきりした。その記事は1回読んだだけでプリントアウトもしてこなかったが、ダートの悪い道をしばらく行くと堰堤があり、そこにかかる鉄梯子が登山口だと書いてあった。しかも近くには吊り橋があってそっちの方が立派で登山口と間違いそうだとも。ここの状況はまさにその記述ぴったりだったのだ。これで安心して寝られる。吊り橋の近くに駐車して酒を飲んで寝た。東京を出るときは曇り空だったが、こちらは薄雲は出ているが晴れていた。駐車場には車は1台もなかった。20台近く駐車可能である。

 翌日は毛勝往復だけなので無理してあまり早起きする必要もないので6時間の睡眠を確保、まだ暗いが4時に起きた。その時に堰堤の奥でヘッドランプの光が見えたように感じた。ということはこの時間に下山してくる奴がいるのか?? しかししばらくしても人が下ってくることはなく、朝っぱらから妖怪に騙されたようだった。

 朝食をとり、パッキングを済ませて出発したのが5時、明るくなるまであと30分は必要な時間なのでヘッドランプをつけて歩き出す。先週の徳右衛門岳は1泊の予定が日帰りになってしまったため、ザックのパッキングはほとんど手を着けずに食料だけ追加すれば良かった。おっと、それに6mの装備を追加した。今回はブナクラ峠で幕営するのでそこから先はアタックになる。多少は重くなっても大丈夫だろう。水は上にないので途中で全部担ぐことになるが。その最後の水場がどこになるのかは心配だった。インターネットの記事でも行きすぎて汲みに戻ったと書かれたものもあったので、標識があるわけでもないらしい。まあ、臨機応変に対応しよう。

 

小ブナクラ谷を渡る場所。対岸に目印有

 無人の駐車場を出発して堰堤を巻き、河原を上流に歩くとなんとヘッドランプの光が。釣りでもやっているのかなぁと思ったら、なんとザックを背負った登山者であった。どうも1時間前に見た光の主らしい。何をしているのかと思ったらこの先のルートが分からずウロウロしているとのこと。そりゃ、踏み跡がはっきりしない河原を真っ暗闇で歩くのは武内さんにはわけなくても常人では簡単でない。ただ、ブナクラ沢を遡上すれば峠に出ることだけは分かっているので最悪はそうすればいい。私が偵察することにし、ザックを置いて周囲を見渡す。すぐ左手にケルンが見えたが、こいつは支流(小ブナクラ谷)の上流を目指しているので大猫山のルートの可能性がある。本流の先を覗いてみると行けないことはないがそれまでの踏み跡がぷっつりと消えているので外れだろう。とするとケルンが本当の道かもしれない。その男性曰く、巻き道ができたらしいとも言っていたのでそちらにしてみることに。このまま支流の沢を直登するようだったら間違いだから分かるだろう。いくつかケルンを見過ごして沢を登っていくと、やがてケルンがパッタリなくなり踏み跡の気配が消えた。これはどこかで沢を離れる場所があるようだ。最後のケルンまで戻り対岸をライトで探るとありました! 対岸の木に赤布がぶら下がり、踏み跡が続いていた。10分程度の時間ロスで済んだようだ。

 その後はほとんど樹林帯の中で、ブナクラ沢からかなり離れた右岸側を歩いた。これなら増水しても全く問題ないし、危険な場所もない。まだ真っ暗な時間だし樹林中でさらに暗いのでライトの光が頼りだ。「迷えるオジサン」は当然のように?私の後ろを付いてくるので私がルートファインディングを担当する。予想以上にはっきりした踏み跡でライトの光でも外すことはなかった。かなり多くの人が歩いていることがうかがえる。私は幕営装備を背負っているとはいえいつものスピードでお構いなしに歩いていたが、オジサンはちゃんとついてきた。もう充分明るくなってライトが不要になってからオジサンが先に休憩に入った。まあ、明るくなれば普通の道だから問題ないだろう。こちらは峠まで休憩無しの予定なのでそのまま進む。途中、暑くなってシャツを脱いだ。そう、今週は先週と違って気温が高い。前線の北側で寒気の中にいるはずだが、その寒気はあまり強くないようだ。

 その後、登山道はたま〜に沢に降りるがほとんど右岸の離れた場所を歩いた。道はいいのだが標識が皆無なのが事情を知らない人には不安に感じるだろう。堰堤から先では猫又とか赤谷の文字はどこにも無かった。標識さえ整えばエアリアマップ赤実線コースだ。

 最後の沢はまるで本流のように水量が多い沢で、それまでの沢はいかにも支流といった細い流れでしかも左手から直角に流れ込んでいるのだが、こいつだけは斜め上方から流れている。それまでの沢と格が違うので分かるだろう。もちろん、そこが最後の沢とは知らずにそのまま進んだ。

 

ブナクラ沢沿いから見たブナクラ峠

 この沢を過ぎてからは最後の沢は出てくるのか来ないのか心配しっぱなしだった。でも右手から沢音が聞こえるようになって一安心。離れてはいるがまだ水は流れているようだ。樹林中を歩いて高度を上げていく。どころどころでブナクラ峠が姿を現す。意外に近くに見るんだけどまだまだ標高があるんだなぁ。周囲の山肌は見事な紅葉だった。赤谷山の山腹は雪に磨かれた岩壁だ。あれは明日登る予定だ。

 登山道は順調に高度を上げるが、徐々に沢から離れるようになった。もうこの先に支流がある気配はなく、この辺で藪を漕いでブナクラ沢本流から水を得た方がいいだろうと判断、アタックザックに容器を入れて一番水音が近くに聞こえる場所から藪に分け入った。目印でも準備すれば、ここで水を汲むよう書いておくのだが。下の沢よりもかなり上がったところなので楽できるはずだ。水汲み準備中にオジサンに追い越された。さて、私は猫又方面に行くがオジサンはどっちだろうか? 心配していた藪は大したことが無く、薄い根曲竹に草が主成分で、標高差で20mくらいで沢だった。余裕を見て3.5リットル担ぐことにした。

 

ブナクラ峠 狭い! 峠から見たブナクラ谷

 ようやく本格的な登りになり、最後は花崗岩の積み重なった上を歩くとブナクラ峠に到着した。インターネットに書いてあったとおりお地蔵さんがあった。昔から登る人がいたんだなぁ。残念ながら峠にはテントを張れるスペースはなく、張ってしまうと登山道が完全に塞がってしまう。赤谷山の方にピークがあるのでその鞍部でも探った方が良さそうだ。まあ、それは帰ってきてからの作業だ。天気は薄曇りだが上々だ。ここに来て初めて東の展望が開け、後立山が一望の下だ。一番目立つのは白い(といっても雪ではない)白馬鑓で、杓子岳の巻き道まで見える。白馬岳から清水岳の稜線が懐かしい。猫又山方面を見るとオジサンが尾根を登っているのが見えた。ここからはアタック装備なので追いつけるかな?

 天気は心配なさそうなのでゴアは省略、その代わり6mを突っ込む。暖かいので防寒装備はシャツのみ。今の格好はTシャツに半ズボンだ。藪漕ぎに備えてロングスパッツは忘れない。それに水と食料。アタック装備だけで6,7時間は行動するだろうから。

 

お花畑から見た赤谷山 お花畑から見た劔岳北稜

 ここからは急登の連続だ。今まで沢沿いに歩いていたのだから傾斜が緩いのも当たり前だったが、これからは山登りに変身する。道は今までと変わらず1級で、部分的に根曲がり竹が出ているところもきれいに刈り払われていた。使う必要はないがフックスロープもある。後ろを振り向くとほんの僅かに白い物を残した剣岳が大きい。まあ、眺めは山頂に行ってから楽しもう。やがて森林限界を超えて草原状にあり、どうやら夏はお花畑になっているような所を登っていく。窪地に石が積み重なっている中を適当に歩いた。GPSを使うほどでもないが、全然使わないのではもったいないので取り出すと残り200mほどだった。なだらかになり、最高点らしきところに直行するのではなく巻くように道があり、最後に直角に左に曲がると山頂だった。

 

猫又山山頂 猫又山から見た釜谷山(左)、毛勝山(右)

 標識があり三角点もある。ハイマツだけなので展望は申し分ない。これから歩く釜谷山、毛勝山はかなり近そうに見えた。東側(黒部側)の稜線直下部分は遅くまで残るであろう雪庇の影響で草付きになっている。いざとなればそこを歩けば藪を避けられる。東側は後立山がずらりと並ぶ。鹿島槍はきれいな双耳峰でどこから見ても分かる。五龍岳はどっしりとしたドーム状で唐松岳は不帰の険とひとかたまりでギザギザだ。天狗の頭から白馬鑓まではなだらかな稜線で白馬三山に続く。南に目を向けると赤谷山が低い。赤ハゲ、白ハゲも見えているはずだが剣北方稜線と重なって区別できない。池ノ平山は、あんなところ登れるのか?と思えるほど鋭い。室堂周辺の立山もよく見えている。そしてその向こうには薬師岳だ。薬師岳より左にも頭が見えるが、これは赤牛岳か?? 遥か西には白山とおぼしき陰。眼下の富山平野部は霞がかかってイマイチはっきりしない。

 さあ、せっかく苦労して持ってきたピコ6なので登場してもらおう。森林限界を超えてDPは地上高50cmくらいだが、ヘンテナを組み立てるのが面倒なのでとりあえずこれで運用することに。うまい具合に郡上郡移動の強い局がいてQSOできた。私が呼ぶ前にJF3XWM/3豊能郡がQSOしていたが、気づいてくれるかなぁ。しかし、XWMの方がCQを出し始めたので無事QSOできた。ワッチした限りでは1エリアはJA1DXA(JH7OHF)小野さんくらいしか聞こえなかった。関西まで飛ぶかどうか分からないが、144、430メインで声を出したが関係者の応答はなかった。堺市まで飛ばなかったらしい。残念。

 QSO中にオジサンが上がってきて、こっちも用事が済んだのでいろいろと話を聞いた。言葉が関東だと感じていたが埼玉県に住んでいるとのこと。今日は日帰りで猫又山に登り、これから大町市にある家庭菜園に向かうのだそうだ。何で猫又山なのかは聞かなかったが、わざわざこんな山を選ぶからにはそれなりの人だろう。闇夜の河原でのワンデリングはしょうがないだろうな。その件についてはお礼を言われたが、その後の樹林帯のルートファインディングも褒められてしまった。いつも夜に歩くんですか?と言われた。私は武内さんではない。ただ、道がない藪山に良く登っているので踏み跡の気配を感じる能力は人一倍あると説明した。

 お互いにやることはやったのでこれで別々の方向に向かった。私は毛勝山へのピストンだ。まずは稜線を下るのではなく東側の草付きから行ってみた。すると踏み跡があるような無いようなであったが、草ばかりだから適当に歩ける。しかし草が付いた斜面に底がすり減った私の山靴ではスリップがひどく、おっかなびっくりでトラバースだ。何度かコケたがそのうち1回は左手を着いた場所に石があって手のひらの皮をベロリと剥がしてしまった。豆がつぶれたようなものであるが、これがヒリヒリして痛いんだなぁ。少し血が出るのでティッシュを当てて上からテーピングで固定し、手袋をはめて保護した。こりゃ完治までしばらくかかるなぁ。

 

釜谷山南側の2重山稜 釜谷山山頂(背景は猫又山、劔岳)

 猫又山から毛勝山までほぼ一貫して稜線直上はハイマツや灌木の藪で、雪庇が遅くまで残る影響か稜線東側直下は草付きである。踏み跡はほとんどその草付きと藪の境界よりやや下くらいで、巻くのがもったいないほど藪が下に延びている部分は藪を突っ切ることもあるが、藪は切り開きがあってもがくようなことはない。草付きは踏み跡があるような無いような状態が続くが藪がないので問題はなく、稜線に上がる部分には目印が着いていたりするのでルートミスはあまりないだろう。猫又山から最低鞍部に急激に高度を下げるところは切り開きのある灌木帯で、そこから再び草付きになる。釜谷山の登りは小さな2重山稜で、ルートはその谷である。ここは夏はお花畑らしい。草原の谷を登り切ると釜谷山山頂だ。

 

釜谷山から見た猫又山、劔岳、立山、大日岳、薬師岳

 

釜谷山から見た唐松岳、天狗の頭、白馬岳 釜谷山から見た爺ヶ岳、鹿島槍、五龍岳、唐松岳

 

 ここは猫又山と同様の山頂標識があるが、かなり劣化している。ちょっとだけ開けた山頂で大人数は休めないが数人なら問題ない。猫又山は低く見え、毛勝山はかなり近いが鞍部が低いなぁ。シートを広げて休憩を兼ねて6mを運用、海津郡移動の強力な信号が聞こえ1発で応答があった。他にいくつか寝具が聞こえたが弱く、QSOできそうなレベルでなかったので声をかけなかった。144、430も応答無し。6m1局でおしまいにした。

 

稜線東側の踏跡。全体的にこんな感じ 釜谷山〜毛勝山 最低鞍部

 さあ、次は毛勝山だ。ここ1山なら430ハンディーだけでいいだろうと6mの設備は丸ごと置いていくことにした。こんなものデポしても盗む奴はいないだろうから堂々と山頂標識付近にデポした。踏み跡に従って藪の切り開きを下り、草付きに出てからは再びトラバースだ。ただ、最低鞍部手前は斜面が急すぎてトラバースできないので藪との境界線や稜線に上がり、藪に掴まって安全確保しながら歩いた。毛勝山への登りはほとんど草付きのトラバースで、時々目印が現れる中、歩きやすい適当な場所を歩いた。まだ遠い山頂には標柱らしき棒が1本見えた。最後の小ピークを乗り越し、徐々にはっきりしてくる道を歩いてハイマツを突っ切ると毛勝山山頂だった。

 

毛勝山山頂(背景は劔岳) 毛勝山から見た釜谷山、猫又山

 毛勝山には標柱はなく、三角点に寄り添って小さな標識のみだった。どうも私が見た「棒」は立った人間だったらしい。今は無人だが登っていた人がいたのだろう。さすが200名山だ。見晴らしの良さは猫又、釜谷と変わらない。もう猫又山は遠くなってしまったが、帰るのが大変だなぁ。僧ヶ岳がなかなか立派だ。機会があったら登ってみたい山である。無線の方は430でCQを出したら立山別山移動局から応答があった。まだ無線を始めたばかりの局で何を話したらいいのか分からず、一言しゃべると返ってくるので、かえってQSO時間が短くて良かったかも?

 時刻はまもなくお昼になる頃で、天気予報を聞くためにVX-5でNHKのTV音声を聞きながら休憩した。富山のNHKが聞こえたが、なんと明日の天気は雨とのこと。おいおい、そんなの聞いてないぞ! 前線が北上し、西と南から雨が降り出しているとのこと。関西、東海で今夜から雨、富山は明日午前中から雨と言っている。南アに行かなくて良かったが、だからと行って富山まで来て雨に降られるとは。予報が外れて雨の降り出しが遅くなるのを祈るばかりだ。

 さあ、帰りだ。ルートは往路で分かっているので延々と歩くだけである。私が毛勝山滞在中、誰も登ってこなかったが、下り始めた直後に人の声がし、小ピークで見ると3人の登山者が見えた。あちらからもこっちが見えるだろうか。滑りやすい草付きを注意しながら進み、鞍部を越えて釜谷山に到着、当たり前だが6m設備は無事だった。少し休憩して出発。猫又山との最低鞍部に下る途中、人間の声が聞こえたような気がしたのだがしばらく姿が見えなかった。幻聴か??といかぶりつつ最低鞍部目指して歩き続け、もうちょっとで最低鞍部というところで猫又山方面から下ってくる人が遠目に見えた。まだかなり距離があり、さきほどの人の話が聞こえた場所まで会話が届くとも思えないが、何かの偶然で伝搬路ができたのかもしれない? この時間であのザックだから毛勝山で幕営だろうな。

 鞍部から登ったところですれ違ったが、中年男女2人のパーティーだった。やはり毛勝山で幕営だそうだ。この先の道の様子を教えておく、といってもここまでと同じグレードだけどね。所要時間は私の足と荷物で釜谷山まで1時間、釜谷山から毛勝山まで1時間だったが、幕営装備を背負ってその時間で歩くのは無理だろう。でも4時間あれば大丈夫だろうな。

 猫又山の北側を巻いて東の縦走路に出て、最後に無人の山頂を踏んで休憩をし、ザックデポ場所に下り始めた。もう午後2時を過ぎたので登る人も下る人も見えない。見晴らしのいい草原地帯を突っ切り、急な尾根を下っていると峠で数人が休んでいるのが見えた。まさか幕営組?? 下って姿がはっきり見えてくるとただの休憩組であった。どうやら赤谷山往復らしい。しかしもう午後3時だから駐車場に着く頃には暗くなってしまうのではないだろうか。そのグループと入れ替わりで私が峠に到着した。今日は気温が高くのどが渇き、アタックザックに入れた500ccは飲み尽くしてしまったので、ようやくのどの渇きを癒せた。3.5リットルは多すぎるかなぁと思っていたが、それだけ持ってきて良かったと思った。先週の涼しさが嘘のようだった。

 さて、やっぱり峠で幕営は無理そうなので赤谷山方向に登って幕営適地を探すことにした。ブナクラ峠と赤谷山の間にはピークがあり、そのピーク周辺や鞍部に張れる場所があるかもしれない。無かったら最悪赤谷山山頂だろうか。でもそこまでテントを担ぎ上げたくはないなぁ。また同じルートを下るんだし。幸い、尾根を登って稜線を東に乗り越えて東に巻く場所でテント一張り分のスペースを発見してテントを設営した。

 気温は高く、厳冬期用シュラフを持ってきたのを後悔するほどだ。これは前線から暖かい空気が流れ込んでいるからだろうか。まだ薄曇りだが朝と比較すれば確実に雲が厚くなっていた。まだ雲は後立山にかかっていないので高さはあるようだが、明日はガスられるかなぁ。午後4時過ぎに2人が下っていく足音が聞こえたが、これは沢の途中で真っ暗けだぞ。

 午後4時半に酒を飲み始め、午後6時過ぎには寝てしまった。夜中12時に起きたときには月の輪郭が見えていたが、朝方にはテントを叩く雨音が断続的にし始め、予報よりも天気の崩れが早まったようだ。何があっても最低限赤谷山まで行く覚悟だったので雨の中で起床し、食事を取って出発した。まだ雨は小降りで止んでいる時間も長かったが、おそらく時間が経過すると本降りになると判断し、テントの濡れ方が酷くないうちに畳んでしまうことにした。ザックのパッキングを済ませ、ザックカバーをかぶせてデポしてアタックザックで出発した。今は雨が止んでいるのでゴアの上だけ着て足はロングスパッツだ。

 真っ暗闇のはずだが曇っていると微かに周囲が見える。もちろん足下が見えるほどではないのでライトは必要だ。後立山がシルエットで映る。まだ雲の中には隠れていなかった。唐松岳とおぼしき場所に光が見えるが、唐松山荘の光だろう。巻道が続き、ようやく登りが始まると沢のような石ゴロゴロのルートになった。ライトの光ではルートがわかりにくく慎重に見極める。沢が終わり稜線に出るといきなり森林限界の様相でハイマツが出現、一気に視界が開けた。ブナクラ沢沿いから見た岩壁の縁を歩いているようだ。眼下には富山の夜景が広がっていた。先ほどまでは姿が見えていた猫又山の山頂付近に雲がかかりだしたが、やはり天気が悪化しているのだろうか。今は雨は降っていない。

 

赤谷山山頂のお地蔵様 赤谷山から見た白萩山、赤ハゲ、白ハゲ

 岩壁の縁が終わると東から回り込むように山頂の一角に出る。そして山頂標識とお地蔵さんがある山頂に到着した。といってもここは最高峰ではなく、休憩にちょうどいい東の広場である。もうヘッドランプは不要であった。しかし雨が降り出してゴアが必要になっていた。これなら傘があった方が良かったなぁ。でも出発前の天気予報では傘が必要になるなんて想像できなかった。

 この先はいよいよ藪の出現が予想されたため、ここでゴア上下にロングスパッツの完全装備。アタックザックは小さいので背負ったままゴアを着た。お地蔵さんの横から南に向かう踏み跡があったが、稜線から外れているので縦走路とは限らない。まず藪っぽい道で正確な山頂に行き、南に踏み跡がないか確認したら山頂から先はプッツリと切れている。さっきの分岐に戻って、花崗岩の巨岩が点在する砂礫地を下る。ここは庭園のような別天地だ。しかしそれは長続きせず、砂礫が途切れて樹林に入る。さあ、ここからが正念場で道があるかどうか。幸いに沢のように少々へこんだ踏み跡があった。僅かに刈り払いの形跡も見られる。これで一安心だ。踏み跡は稜線より東側を下り、昨日のパターンで草付きに出てからトラバースが始まった。今日は草が雨に濡れて昨日よりも滑りやすいので慎重に歩いて最低鞍部を通過した。

 その先も少しの間草付きのトラバースで、薄いものの踏み跡が確認できる。草が生い茂る夏では分からないかもしれない程度だが。草付きが無くなってくると今度は稜線めがけて突き上げる。ここははっきりしたルートがあり、それを忠実に辿って稜線に出た。藪と言えるような藪はなかった。稜線は花崗岩の砂地が広がる穏やかな尾根で、この先は白萩山直下まで尾根を歩く。ハイマツが出てきたりするが踏み跡がはっきりしておりまだまだ藪ではない。しかし、問題はこの先だ。これは帰りがけに踏み跡を正確に追えたおかげで書けることだが、往路では全くルートが分からなかった。

 最大の分かれ道は尾根上の道が急に消えて笹藪になる場所だ。このまま強引に笹を漕ぐとハイマツの海に没した白萩山山頂に出られるが、そこから東の尾根はハイマツ+根曲がり竹の最強の藪で、途中まで刈り払いがあるが藪の海に消えてとんでもない目に遭うのだ。だから白萩山山頂に立つには赤ハゲ方面からではなく赤谷山方向から登らなくてはいけない。赤ハゲ方面への正しいルートは、尾根上の道が消える部分で足下のガレを下って稜線直下の草付きをトラバースするのだ。草付きが消失するところで踏み跡は藪の中にあるが大した藪ではなく、そこを突破すると再び草付きのトラバースになる。正しい道は山頂を巻いてしまうのだ。そして稜線を乗り越えて南側の2重山稜の谷を下るのだ。稜線上は猛烈な藪である。私はそこでもがいて時間と気力を喪失してしまった。笹藪の中でピッケルが落ちていたが、他にも「犠牲者」がいたらしい。2重山稜の谷はほとんど藪が無く歩きやすいが、20mくらい笹の海を突破しなければならない。ここにはジョッキのビールの絵が描かれた赤布がぶら下がっている。こいつらも無雪期に登ったのかな。そこさえ突破すれば最低鞍部まで藪はない。最低鞍部は平坦な草原で幕営に最適だろう。

 

白萩山東鞍部から見た赤ハゲ、白ハゲ

 ここまで来て引き返すのは悔しいが、雨は本降り、藪漕ぎでパンツまでびしょ濡れ、靴もポチャポチャ状態では気力が萎えても仕方ないだろう。たぶん藪がなければ30分も登れば赤ハゲに到着したと思うが、あの時は撤退しか頭になかった。当初の天気予報通り雨さえ降らなければ確実に白ハゲ往復が可能だっただろう。まあ、ここまでルートがはっきりすれば次回来るときには大丈夫だろう。

 帰りは忠実にルートを辿り、藪との格闘もなく雨の赤谷山に戻った。でかいビニール袋を頭からかぶり、430でCQを出して地元局と2局QSOした。風があるので袋がバサバサ音をたてて時々聞こえなくなる。幸い、この時は雨は小降りだったので雨粒の音は小さかった。

 下山は雨の中淡々と。靴が水浸しで足の皮が剥げはしないかと心配だったが荷が軽いので大丈夫だった。時々スコールのような豪雨になり、登山道も水がしみ出して滑りやすくなり、下りは要注意だった。そんな中でもテント場近くまで下るとゴアに身を包んで登ってくる人がいるのに驚いた。天気予報は聞いていると思うんだけどなぁ。よほどの物好きなのだろうか。一人二人どころではなく最終的には2,30人はいたのではないか。

 テント場に戻っても雨は降り止まず、腹が減ったのでびしょ濡れのままあんパンをかじって腹ごしらえをして出発した。ブナクラ峠を下っているとにわかに空が明るくなり、雨が上がって薄日が差すようになってしまった。一時的であったが赤谷山の姿が見えるまでになった。まあ、どちらにしてもあの藪は濡れたままだし、稜線はガスの中で気力を奪われるだろうなぁ。

 最後の水場でジモティーと話をし、白ハゲまで行く予定で撤退したとこちらが言ったら、あちらも当初は白ハゲの予定だったのが天気が悪いので猫又、できれば釜谷までの短縮コースに変更とのことだった。さすがジモティーで白ハゲまで歩いたことがあるという。草原で気持ちいいよ〜とのこと。いつか日帰りしてやるぞ。10分くらい話して分かれた。

 その後、雨が降りそうな気配がないので上下のゴアを脱ぎ、びしょ濡れの半ズボンにTシャツで歩いた。これでちょうどいいくらいの気温だ。多少は濡れた物が乾いたか?? 堰堤は最後に梯子を下っていたら最終段で滑り落ちてしまったが怪我はなかった。茸取りらしい2人が竹篭を背負って上がっていった。

 天気予報では明日も雨の予報なのでもう帰ることに決定し、帰り支度を大々的に始めた。濡れたテントを組み立てて虫干し。ゴア、スパッツはハンガーに掛けて乾燥。靴下、手袋等は物干し。ウェストバッグの中身は篭。派手に店を開く羽目になった。ICレコーダは中に湿気が入ってしまったのか液晶表示が薄くなってしまった。帰ってからUSBに接続したらPCが認識しないし、壊れてしまったのだろうか。約1万円が・・・・。デジカメは問題なかった。

 物干し中に隣のなにわナンバーの2人組に声をかけられ、その後はジモティーに声をかけられ何かと会話が多い日だった。駐車場は満杯状態と賑わっていた。

 帰りは上市町のアルプスの湯(\600)に入り、近くのスーパーで食料調達を済ませてどこでも寝られる状態を整えてから車を走らせ、安房峠を越えて松本に出て、朝日村のあさひプライムスキー場駐車場で静かに寝た。夜中は時々雨が降ったが大降りはしなかった。

 翌日、長野、山梨は降水確率80%以上で山登りはできそうにないのでゆっくり寝て、明るくなってから東京に向けて移動開始、金節約で甲州街道をひた走り、お昼前に小金井に戻った。その直後、東京も豪雨に見舞われた。


10/11 5:04堰堤−5:05堰堤を越える−5:15迷えるオジサンに会う−5:40ヘッドランプを消す−5:52河原に出る−6:04岩屋−6:15 1305m沢を渡る−6:24河原に出る−6:25最後の沢を渡る−6:37水汲み−6:43沢に出る−6:45出発−6:48縦走路−6:49ザックデポ地−6:52出発−7:35ブナクラ峠着−7:48ブナクラ峠発−9:02猫又山着−9:36猫又山発−10:15釜谷山着−10:33釜谷山発−11:28毛勝山着−12:00毛勝山発−12:29最低鞍部−12:59釜谷山着−13:09釜谷山発−13:132重山稜−13:25最低鞍部−13:33 2人とすれ違う−13:50縦走路−13:51猫又山着−13:59猫又山発−14:52ブナクラ峠着−15:00ブナクラ峠発−15:07テント場

10/12 4:28発−5:15ハイマツの尾根−5:31雷鳥の鳴き声を聞く−5:47赤谷山−5:51赤谷山最高点−5:52分岐点−5:55樹林に入る−6:20白萩山−6:32藪と格闘−6:38最低鞍部(引き返す)−6:45笹を抜ける−7:05白萩山〜赤谷山間最低鞍部−7:15赤谷山砂礫地−7:17赤谷山着−7:44赤谷山発−8:32テント場着−8:48テント場発−8:53ブナクラ峠−9:21ゴアを脱ぐ(水汲み場所)−9:34最後の沢を渡る−9:56岩屋−11:35堰堤−11:38駐車場

 なお、ICレコーダが不調だったため(現場では気づかなかった)、ブナクラ峠〜毛勝山往復の時間はちょっとあやふやな部分があります。ただ、猫又到着出発時刻と毛勝山到着出発時刻は記憶にあるので間違いありません。釜谷の時間は自信なし。

 

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