南ア北部 仙丈ケ岳地蔵尾根 2005年11月19日

 

 

 地蔵尾根は2年前の10月に長谷村の田城原高原から地蔵岳まで登っているが、その後日本山名事典が出版され、地蔵岳のすぐ上の丸山谷ノ頭が掲載されたため再訪する必要に迫られた。2日前まで深南部で過ごして体力も使い、あまりの寒さで風邪を引いた(というより悪化させた)ため、土曜日は日帰りできる丸山谷ノ頭に決める。これだと東京への帰り道の途中だから手間も省けるし、車で標高1600mくらいまで登ってしまうので疲れた体にも優しい。問題は今でも林道が通行可能かだけであろう。

田城原高原の林道と廃墟

 高遠町のスーパーで買い物を済ませ、何度も通った三峰川沿いの林道に入るがいつものとおり開いた車止めと注意喚起の看板があるだけで通行可能、橋を渡った突き当たりで左に入ると以前と同じガタガタ道のままだが緯線より荒れた感じは無く、1速、2速の繰り返しでゆっくりと登っていく。この林道は道はデコボコだが落石や路肩崩落が心配される険しい地形は存在せず安心して走れる道だ。冬型が続いて乾燥しても部分的に水たまりがあり沢水の影響らしい。前回走ったときも途中で泥濘があって車での突破を見合わせたが今回も同じ場所でぬかるんでいると思われ、前回車を止めたのと同じ場所で車を諦めることにした。ここはキャンプ場の中心地だった場所のようでトイレの廃墟やいくつかの崩壊しかけた建物がある。道端に車を突っ込んで、風邪を少しでも回復させようとたくさん防寒着を着てシュラフに潜り込んだ。

 

 聞いた話によると体温が1度上昇すると免疫力は2倍に上昇するとのことで、風邪を引いて発熱するのは体が自然にウィルスから防衛するための手段だそうだ。残念ながら未だウィルス性疾患(風邪やインフルエンザなどわりと一般的な病気)に効果がある薬はごく一部のウィルスを除いて存在せず、ワクチンで予防する以外は体の免疫機能がウィルスをやっつけるしかない。医師が処方箋で投薬する薬も含めて風邪薬は諸症状への対症療法でありウィルスを叩くわけではないので、結局は本人の免疫が頼りである。風邪薬で発熱を抑えると免疫力が高まらずウィルス撃退までの時間が長くなるだけなので、体組織に悪影響が出ない程度の発熱ならば解熱剤は服用せず安静にしているのが一番である。ちなみにみなさんはウィルスと細菌の違いを知っているだろうか? どちらも感染症の原因であるが構造、生態は全く異なり、抗生物質が効くのは細菌でありウィルスには全く効果がない。動物の細胞と細菌の細胞で異なるのは細菌には細胞壁があることで、抗生物質は細胞壁生成を阻害し細菌の増殖を抑えるので、細胞壁がない動物細胞には基本的に悪影響を与えない。ところがウィルスには細胞壁が無いどころか、宿主の細胞を遺伝子組み替えして遺伝子レベルで乗っ取ってしまい、ウィルスの増殖に利用するのだ。増殖の仕組みが細菌とは根本的に異なるため抗生物質が効かない。だからウィルス性疾患で抗生物質をもらっても、免疫力低下による感染症予防の意味はあっても根本の疾患治療には何の役にも立たない。このような抗生物質の濫用が広がり、抗生物質が効かない細菌(耐性菌)が現れてしまったのが現状だ。というわけで、風邪は寝て治すのが一番いいというお話でした。

車を置いた場所から廃林道を登る 上部の林道に出る
カーブの泥濘。4WD車なら問題なし 他はいい道

 

 翌朝、体調はまあまあで発熱は収まったようなので出発することにし、昨晩パッキングを整えたザックを背負って北目指して廃林道を歩き出す。冷え込んでいて気温は−6℃であった。地形図では車道が通っていることになっているが実際は廃道でしかも途中で道は途切れており地形図の表記は間違っている。まあ、歩きだから林道があろうと無かろうと最短コースを行くだけであるが。車道が谷で消えてからは左の落葉樹林の斜面を谷に沿って登ると上部の林道に出るのは前回体験済みなので適当に登るが、やはり2日前の疲労が抜けきれず足が重く先が思いやられる。すぐに立派な林道に出て、尾根を左に回り込むところで泥濘があり、凍った時間帯はいいが融けたら2WD車ではスタックの可能性もあるので歩いて正解だろう。無理すれば通れるかもしれないが、水平な場所で少しくぼんだところに水が溜まっているので、坂道のように滑ってもバックで脱出できるわけではないので単独ではリスクは避けた方がいいだろう。なお、4WD車は難なく通行しているのを目撃している。

 日差しが尾根に遮られると寒く、防寒着を着たまま林道歩きだ。落葉した唐松越しに二児山や中アが見えるが、千畳敷周辺は雪雲に隠れて見えなかった。空木岳周辺はまだ白さが見えないが、あっちは−10℃以下だろうなぁ。林道を反対側から狩猟らしい4WD車が上がってきたが、どうやら反対側も車の通行が可能らしい。どの程度の道の状態か分からないが、もしかしたら私が使った道よりよかったりして。

地蔵尾根縦走路と合流。標識は「至仙丈ケ岳」 笹が立ち枯れた部分がある
唐松植林帯が多い 松峰西側鞍部

 

 やがて林道は左に下るところで右に水平に分岐する轍が薄い車道に入ると直ぐに地蔵尾根縦走路に合流、落ち葉に半分隠れた登山道を上がっていく。今回は穴沢ノ頭や松峰等は登る必要がないので巻き道を淡々と歩く。2年前がどうだったか覚えていないが、ごく一部だけ笹が生えた斜面があるが、けっこうな範囲の笹が立ち枯れていた。ここも笹の花が咲いたのだろうか。部分的にシラビソ樹林を通って再び日当たりがいい唐松植林帯を通り巻き道に入る。地形図では登山道は穴沢ノ頭山頂を通っているが実際は東側を巻いて松峰との鞍部に達する。松峰は明るい唐松植林帯を地形図通り南側を巻く。巻き終わって2087mピークへ向かって登っていくと今度はシラビソ樹林の中やシラビソと唐松植林帯の境界を歩くようになる。どうもこの付近はその昔に伐採し、唐松を植林したがその後の手入れをしなかったり、伐採したまま放置した場所らしく、唐松に混じってシラビソが生えているし、シラビソは密集して細く藪のようだ。切り株は苔むして時の流れを感じさせる。

松峰小屋分岐 ちょっとだけ倒木がある

 

 ピークを登り切るともう唐松植林帯はなくなって南アらしいシラビソ樹林帯が続く。鞍部では松峰小屋の案内標識が2年前と同じように付けられていたが、今回も小屋の様子を見ることもなく通過する。登山道にはやや倒木がみられるが、毎年手入れはされているようでチェーンソーで処理された木もあるが、まだ倒れて道を塞いだままの木もある。たぶん夏場のシーズン前に整備を行うので、その年の台風で倒れた木は来年までそのままなのだろう。

 その後もシラビソ樹林が続き、どこでも歩けそうな斜面が多いが目印と踏跡を頼りに正確にルートを辿った。樹木が薄くなって上空が開けた場所では薄く雪が積もって白くなった部分があり、下界で雨が降ったときに山では雪になったようだ。所々登山道にも雪が残っていたが、意外にも登山者の足跡が残っているではないか。最初見た時には登りの足跡だけだと思ったが、その後よく見ると往復した足跡だった。雪があったのは地蔵岳巻き道が中心で、それ以外では標高が上がっても雪がなかったのでどこまで行ったのか分からないが、巻き道の最後まで登りの足跡があり、巻き道の途中で下りの足跡が現れたので地蔵岳山頂へは行ったようだ。

北斜面には少しだけ雪が残っている 地蔵岳東側の巻き道分岐

 

 いつになったら地蔵岳の巻き道に入るのかと気を付けながら歩いていると、藪がないので道なのかどうか分からないような場所で目印が左に導くのが目に入り、巻き道入口を発見した。これじゃよく見ていないとこのまま稜線を上るのが普通ではないだろうか。前回、私が歩いたときはこの分岐を見つけることができなかったが、今回は巻き道を通ることができた。入口は道なのかはっきりしないがすぐに登山道らしくなり、北斜面で真っ白に雪が積もった(といってもせいぜい1cm程度)道をサクサクと音を立てながら今年初めての新雪を踏みしめる。巻き終わって尾根に戻ると同時に雪は消えた。

2400mピーク手前の展望地 展望地から見た南ア南部
展望地から見た南ア深南部 展望地から見た二児山
展望地から見た南ア鋸岳 展望地から見た白岩岳
展望地から見た地蔵岳(背景は中ア) 展望地から見た丸山谷ノ頭

 

 この先は歩いたことがない領域だが、丸山谷ノ頭は標高から考えればこれまでと同じくシラビソ樹林で視界がないだろう、と考えていたが、意外や意外、次の2400mピーク直前で樹林が切れ草付きに変貌し、一気に視界が開けた。南を見れば一番目立つのは本谷山から二児山の稜線で、二児山が盟主のように立派に見えるが、あれが二児山と知る登山者がどれほどいるだろうか。先日登った奥茶臼山から続く木樽山、丸山の弛んだ尾根も見え、その谷間からは加加森山と池口岳が見えていた。左手の尖ったピークは大沢岳だ。その左の平らなピークが前聖岳、重なるように赤石岳と荒川前岳が並び、右には中岳、東岳と続く。意外にもここからでは東岳は前岳等と重ならずに独立して見えている。塩見岳が一番デカイ。北側を見ると鋸岳がど迫力で迫り、第2高点右手の鞍部がギャップのように落ち込んでいる。編笠山も立派に見えているが、普通は登らないよなぁ。横岳はその編笠山の斜面と重なってよく見ないと分離できない。左手奥には昨年登った白岩岳で西側のガレたような白い斜面が特徴だ。あそこも展望が良かった。心ゆくまで展望を楽しんでから先を急いだ。

丸山谷ノ頭西側直下 歩きやすい道が続く

 

 再び樹林帯に入って視界はなくなり黙々と歩くだけだ。鞍部に降りて再び登り返し目印を頼りに歩いていくと、前回の地蔵岳と同様に地図では巻いているはずの登山道の巻き道分岐は分からず尾根をまっすぐに登っていく。もしかしたら巻き道は無い? それとも地蔵岳と同じようにわかりにくいが存在するのか? まあ、大した標高差ではないし藪もないのでどっちでも問題ないだろう。

丸山谷ノ頭山頂。樹林に覆われ視界なし 丸山谷ノ頭に残っていたKUMO

 

 傾斜が緩むと山頂の一角で、GPSの表示を頼りにさらに東に進むと予想外にもKUMOがかかっているではないか! ここは地形図記載の山ではないので、もしかしたら山名事典発行以降に付けられたのだろうか? まだそれほど古くは見えずその可能性も否定はできないと思ったが、木に巻いた電線の張り具合を見ることでおよその取り付け時期を推定することができるので一度電線を外してみると少しだけ木の幹に跡が残っており取り付けてから木が成長していることが分かった。この標高ではシラビソの成長は遅く、おそらく取り付けられてから数年は経過しているであろう。最近ではなく、たぶん松峰や地蔵岳と一緒に取り付けられたとみるのが正しいだろう。まさかKUMOがあるとは思わなかったので久々の対面にうれしかった。地蔵尾根は地蔵岳、松峰にもKUMOが残っていれば3カ所もあることになり唯一の場所ではなかろうか。

 樹林で日当たりが悪いので隙間があるところを探して日に当たりながら休憩した。気温は相変わらず−6℃前後でいっこうに上がらないが、日が当たっていれば体感温度は高くけっこう快適だ。北よりの冷たい風がやや吹いているが南斜面なら風も来ない。これで展望があれば最高なのだが。ここまで近づけばたぶん仙丈ケ岳が覆い被さるように大きいだろうなぁ。無線をかねて30分ほど休憩して下山にかかった。

地蔵岳山頂付近(三角点より北側の平坦地) 地蔵岳のKUMOも生き残っていた

 

 帰りは地蔵岳と松峰のKUMOも確認することにして巻き道を使わないで稜線上を下ることにし、地蔵岳東鞍部からそのまま尾根を登って地蔵岳山頂を目指す。ここも藪がないシラビソ樹林で難なく歩くことができ、踏跡のような獣道のようなルートも見受けられる。倒木は少ないが乗り越えるのも面倒なので左右に迂回した。山頂の一角に到着してだだっ広い場所に出るが、三角点は南側に引っ込んだ場所にあるので南に突き出した尾根を辿るとありました! KUMOが。2年前と同じように錆びて文字が消えた金属製標識の上にかかっていた。このぶんならまだまだ長期間生き残るだろう。

松峰東鞍部から稜線を上る 山頂近く。尾根付近は唐松+シラビソ
松峰のKUMOが付いた木は倒れていた 別の木に付け直した
松峰山頂 西のピークはちょっとだけ巻いた

 

 再び稜線に戻って尾根を忠実に辿ると僅かで登山道と合流、しばらくは登山道を歩く。松峰手前の鞍部で再び登山道を外れて今度は落葉して明るくなった唐松植林帯を登るが、こっちはシラビソ自然林と違って木の密度が高く枝が低い位置で横に張りだしているので歩きにくい部分もあり、隙間を探して尾根より南側を巻くように歩いた。昔の作業の跡だろうか、ワイアーロープが空中に渡されたままの場所もあった。おそらくこの山もシラビソ自然林だったのだろうな。登り切ったところが山頂だが、あったはずのKUMOが無い! ペンチマンに取られてしまったのか?と思ったが、なんと地面に倒れたシラビソにKUMOがついていた。枯れて倒れたのか強風で折れて倒れて枯れたのかは分からないが、2年前にはこんなことになるとは想像もできなかった。せっかくだからと生きが良さそうなシラビソにKUMOを付け直した。これで地蔵尾根には丸山谷ノ頭、地蔵岳、松峰と3つのKUMOが生き残り、「団子三兄弟」ならぬ「KUMO三兄弟」だろう。登山道が近くにある山でこれだけまとまって生き残っている山域は非常に珍しく、手軽に登れるのでぜひKUMOを見学に登って欲しい。

 相変わらず続く唐松植林帯を下って西側鞍部で縦走路に合流、来た道を通って車に戻った。


6:24田城原高原−6:37林道に出る−7:12縦走路−7:47松峰西側鞍部−8:12松峰東鞍部−8:37松峰小屋分岐−9:25地蔵岳巻き道終了−9:40展望地−9:44 2400mピーク−10:03丸山谷ノ頭着−10:27丸山谷ノ頭発−10:42 2400mピーク−10:54地蔵岳東鞍部−11:02地蔵岳−11:09登山道−11:30松峰小屋分岐−11:42 2087mピーク−11:50松峰東鞍部−12:07松峰−12:22松峰西鞍部−12:46林道−13:20林道を外れる−13:26田城原高原

 

 

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