奥武蔵 官ノ倉山 2009年1月24日


 奥武蔵と呼ばれる山域はどこからどこまでを指すのか知らないが、今回の旧都幾川村周辺はたぶん奥武蔵と読んでいいエリアに入っているだろう。奥武蔵は低山がたくさんあるが、西部秩父線沿線の山以外は数えるほどしか登っていないので大半が未踏のままだ。この冬の寒い時期に登るにはちょうどいいだろう。車を目いっぱい使ってできるだけたくさんの山に登るようにしよう。

 早朝の関越道練馬ICゲートを潜ったのは午前6時僅か10秒前で、ギリギリ早朝深夜割引で半額にできた。約10年前に購入したロードマップには記載されていない嵐山小川ICで降りてまずは官ノ倉山に向かう。ここは東尾根に書かれている太い車道から登るのが最短だろうが、はたして一般車で入れるかどうかは不明だ。その場合は南側に書かれている破線から登るのがいいだろう。太い道の入口がどこなのか現場で判断するのは難しかったが、それらしい道に入るとそれらしい道の付き方だったのだが、なんと集落に入るところでバリケードで通行止めで左の細い道に入らされた。ゲートではなくバリケードでいかなる車両も進入できないようになっており、この先は道が途切れているのか、それとも別の理由があるのだろうか。

官ノ倉山登山口。ここはパスして奥に進む

車はここまで

 あとは山の中に進むよう道を選んでいくと、お寺近くの道路脇に官ノ倉山登山口の標識を発見、ここから登ってもよかったのだがまだ車道は奥へと続いているので車で入ったが、200mほどで貯水池がありその先は道が細くなっていて車両はここまで。先ほどの登山口まで戻っても良かったのだが、どうせ右手の尾根上に登山道はあるのだろうから、このまま適当に登ればいいさと歩きだした。地形図で現在地を確認したわけではないが、東尾根南側の谷に沿って描かれた破線を歩いているようだ。天候はどんよりした曇りで、綿埃のような細かい雪が僅かにちらついていた。

薄い踏跡を辿る

廃林道を横切る

 車を降りて谷間の道を歩き始める。最初は車が走れそうな幅の道だったが徐々に狭まり山道となるが、比較的明瞭である。進んでいくと左に堰堤が出てきたところで道は堰堤の方に下っていきどこに行き着くのか不安なので小さな尾根の上の踏跡を行く。こちらはかなり細く、最後は踏跡が消えて尾根が削り取られて藪ぼうぼうの平坦地に出た。造成地跡のようで日当たりが良く蔓交じりの激藪でとても突破は時間がかかりそうなので迂回することにする。道を戻って今度は右手の大きな堰堤の左側を通過し、その先の樹林の斜面にとりつく。さすが樹林帯だと藪はなく快適に登れる。

平坦な造成地に出た 再び斜面を登る
伐採地から見た官ノ倉山 伐採地から見た日光連山

 やがて廃林道が斜面を横切るが、これもどこに通じているのか不明なのでパスし、法面の高さが低いところから再び斜面に取り付いて樹林帯を登る。少し登ると今度はカヤトの広い平坦地に飛び出した。ここも造成地跡のようで稜線を広く削り取ってあり、真中に踏跡があったのでそれを辿るが、やがて稜線を外れて南に下ってしまうので再び樹林帯の尾根に這い上がった。しばし藪が続いたが傾斜が緩くなると低い松を中心とした樹林となり歩きやすくなった。尾根は右に直角に曲がってから再び西に向かったので、今まで歩いてきた尾根は主尾根ではなかったようだ。主尾根は南側は造成跡地だが右側(北斜面)は自然林のままだ。小ピークに到着すると山頂一帯は伐採されて、倒された木がそのまま放置されているので進むのが面倒だった。このまま山頂まで続いているのかと思ったら、再び尾根が造成地で削り取られて消えており、法面の傾斜の緩い箇所から平坦地に下った。

再び造成地に下る

東尾根を登る

 ここにも踏跡らしきものがあり、以前は尾根があったはずの平地を進んでから南に下っていく。ここで再び尾根が現れたので乗り換えて登っていくと、今度はポツポツと目印が見られるではないか。ここを歩いた人はいったいどこから登ってきたのだろうか。たぶん今歩いているのが東尾根で地形図の破線が描かれている尾根のはずだが、所々には道だったような形跡は見られるが今では大半の区間で薄い踏跡程度で登山道とは言えないレベルだった。まあ、尾根が明瞭なので迷う心配が無くていいが。

東ピークで登山道に出る 官ノ倉山山頂
官ノ倉山から見た赤城山 官ノ倉山から見た榛名山

 尾根を登りきるとやっと明瞭な登山道と合流、地形図では官ノ倉山東ピークのはずで、山頂はこの先にあるはずだ。案の定すぐ先のピークには山頂標識はなく下っており、鞍部から登り返したピークが官ノ倉山であった。山頂はある程度展望が開け、北側には赤城山から榛名山にかけてが見えていたが谷川岳方面は雪雲の中に沈んでいた。まだ時刻が早いので無人の山頂であった。

廃林道を下る

ここで廃林道を離れて下りはじめる

 さて、帰りはどういうルートにしようか。同じコースを下るとなると伐採地の藪尾根通過があるのでイヤなので、東尾根を下って造成地に出たところから東尾根南側を下っている廃林道を歩いてみよう。東尾根から造成地に出て少し北に移動して東尾根の続きに出るとその南側に明瞭な踏跡がある廃林道があり、多少は刈り払った形跡もあるので、今でもなんらかの用途で使われているようだ。道の付き方が地形図に出ている太い道と同じなのか、山腹を巻いているのでイマイチ不明だったが、少なくとも林道の起点(正確には終点)は地形図と同じで南側を巻いているのも同じだった。このルートは藪がなく歩きやすかった。

尾根上は藪無し

林道に出たところから下ってきた尾根を振り返る

 途中で廃林道が稜線を乗り越えて北側に乗り移るところ(標高180m地点のはず)で廃林道を外れて南側に下り始める。眼下にはでかい砂防ダムが見えるが、登りでも見たものであろうと想像した。何となく踏跡があり、小さな尾根に乗ると時々目印も見られた。ほとんど藪もなく未舗装の林道に出た。

 もうこれでOKと思ったがこの先に苦難が待っていた。まずは車はどっちにあるかが問題だ。私の記憶では車を止めた堰堤まで舗装道路が続いており、歩きだしてからちょっとの間がダートであったはずで、ここはダートなので下界方向に降りればいいはずだ。そちらに歩くとすぐに人家が出てきたが、私の記憶している林道の周囲とは明らかに異なる景色だ。私が車を止めた場所の最後の建物は人家ではなく物置風であったが、これはどう見ても一般人家である。しまった! 予定とは異なる谷に出てしまったようだ。ただし、谷の奥に行けば谷を挟んで車を置いた場所と林道でつながっているかもしれないので奥に向かうことにした。しかしそれらしき林道がなく、どんどん谷の奥にいくばかり。さて、どうしよう。

 ここでしばし考えた。問題は正しい谷がどこにあるかであるが、これがまた不明だ。何しろ歩きだした場所が適当な場所で地形図上で確認していないのだから(^_^;)・・・。ただ、登ってきたルートの記憶からして東尾根より南側のはずで、たぶん今いるところも東尾根の南側だと思うが、たぶん登り始めの場所はもっと南側だろう。ということで一か八かで南に向かうことにしたのだが、よ〜く考えるとここでGPSを使う選択肢があったのだ。考えてみれば官ノ倉山の緯度経度を入力する際に一度GPS衛星を捕捉して車の位置の緯度経度を表示させて、それを山頂の緯度経度に書き換えたので、そのときのトラックログは残っているはずなのだ。それに向かっていけば無事車にたどり着けたはずだ。別の選択肢としては逆に人家の方向に行って山麓を回って車を置いた場所を探すこともできたはずだ。たぶん、人家にたどりついた場所は車を置いた場所からさほど遠くなく、この方がずっと短時間でたどり着けたはずだ。しかし、人間は焦ると考えの幅が狭まってしまうようでこんなことが思いつかなかった。GPSに関しては、普段の山登りでGPSを持ってはいくがGPSに頼った歩き方はしていないのでこういうときに使うことを思いつかなかったのだろう。まあ、この体験で次回からは役立てることができるだろう。

 さて、その後の行動だが、南の谷を下ることにして一つ尾根を越えたが、出た谷は広く伐採された谷で見覚えがない。さらに南に向かい、尾根を越えて植林帯を下ってもこれまた記憶にない風景だった。さらに下ると人家裏に出て広い道路に出たが全く現在位置が分からない。ここに来て初めてGPS利用を思い出して電源を入れようとしたら電池切れ。予備電池も持ってきていなくてデジカメの電池を入れてトラックログを確認すると、車を置いたと思われる地点は北に約2kmの位置で、はるか南に行き過ぎだ。おまけに手持ちの地図は官ノ倉山近くのみ印刷した狭い範囲しか見られず、あまり役立ちそうにない。これから再び尾根を越える気力は無いので、平地を東から巻いて北に移動することにする。方位磁石で東を確認して進んでいくと学校発見、道路のつきかたから推測して南東に位置する学校と見た。この付近まで接近すれば手持ちの地図の範囲なので、正しい現在位置が把握できるので安心だ。尾根末端付近の住宅街を通過し、もうひとつ北側の神社がある尾根末端を過ぎれば見覚えのある工場と道路と案内標識。今度こそは行きに通った車道だった。

無事に車にたどり着いたが、未だに最初に下ったのがどこなのか真相は不明だ。機会があれば現場にもう一度立って帰りに下ったルートを検証してみたい。


所要時間  舗装道路終点−1:00−官ノ倉山−0:13−廃林道−0:09−廃林道を離れる−0:04−林道−1:14−舗装道路終点 

 

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