志賀高原 岩菅山、裏岩菅山、二ノコブ 2009年5月16日

広域地図

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 ニノコブは地形図にも山名事典にも記載されていない山だが、旧コンサイス山名辞典に記載がある。場所は裏岩菅山を北に下って尾根が右に屈曲するところにあるなだらかな2180m峰で、登山道は東を巻いているので濃い笹薮を漕ぐ必要がある。以前、岩菅山から烏帽子岳を往復したときに登ろうとしたが、笹が濡れていたので突っ込むのを諦めた経緯があり、そのうち登ろうとは考えていたが延び延びになっていた。今週末は日曜は広範囲で雨の予報で、関東甲信でも土曜日は早いところは午後から雨とのことだが、北の方ほど天気の崩れが遅いようだ。ニノコブならば登山口から近いので半日行程で済みそうだし、岩菅山の標高と位置ならまだ残雪が期待できるかもしれず、ニノコブも藪漕ぎ皆無で山頂に立てるかもしれないと出かけることにした。

冬季通行止めゲート。4日後に開通という間の悪さ 車道には雪なし

 関越道→上信越道と走って小布施PAで仮眠、4時前に再び走り出して志賀高原へ。途中、国道上にカモシカがいてちょっとびっくり。焼額山方面の県道に入ってしばらく進み、一ノ瀬のホテル群で「岩菅山」の標識に導かれて右の分岐に入る。このまま登山口まで入れると思っていたが、なんと途中で冬季通行止めのゲートがあるではないか。今年は5/20まで閉鎖とのことで、あと数日で開通するという何とも間の悪いこと。でも地図を見ると歩いて1時間はかからないだろうからこのまま計画続行だ。ゲート前の圧雪車横に車を置いて朝飯を食い、ザックを背負って出発。岩菅山の斜面上方は少し白く、西斜面で残雪があるのだからニノコブのなだらかな東斜面にも雪がありそうだ。今回のコースは危険箇所はないと思うが、念のためにピッケルと12本爪アイゼンを持っていく。さすがにこの時期にワカンの出番はなかろう。

岩菅山登山口 水路沿いの水平道にも雪なし

 天候は薄曇で太陽の輪郭が確認できる程度で、当面は雨の心配はなさそうだ。きれいさっぱり雪が消えた舗装道路を10分強歩くと岩菅山登山口に到着、登山道の雪もすっかり消えている。周囲の木はまだ芽吹いておらず、標高の高さを感じさせる。整備された道を登ると水路に沿った水平の巻き道にぶつかり、左に折れる。そのまましばらく等高線に沿って東に向かう。僅かに雪が残る部分には古い足跡があり、たぶん今週に入って誰か歩いたのだろう。ゲートが閉まってはいるが、岩菅山は有名どころなので私の他にも登山者がやってくるだろう。

アライタ沢 沢を渡ったところ
残雪が見られる でも途中から無雪

 アライタ沢はしっかりした橋で対岸に渡ると、登り始めはいきなり残雪帯だ。ここも古い足跡が残っているし、夏道が完全に埋もれているわけでもないのでルートを見失うこと無く歩ける。すぐに夏道の階段が現れ、その後は夏道を歩くことになる。この標高では部分的にしか雪は残っていないらしい。いつのまにか周囲はシラビソ樹林になり、高山ぽくなる。なにせ登りはじめの標高は1600m近いからなぁ。

徐々に残雪が増えてくる 樹林の隙間から岩菅山
夏道は完全に雪の下 稜線付近

 1739m峰を越えて少し下り、尾根上を登っていくと徐々に雪が見られるようになる。硬く締まって全く沈まず、スパッツを付けなくても靴に雪が入ることはないくらいだ。標高が上がると徐々に積雪が増え、夏道に従って尾根を外れて左に巻き気味に斜面を登るようになるとほぼ全面が残雪に覆われるようになった。傾いた雪面を歩くにはキックステップで登山靴のエッジを効かせないと滑り落ちてしまうし、足に変な角度で力をかけるので一部の筋肉が集中的に使われて疲労してしまうので、短い登場機会とは思うがアイゼンを装着してトラバースしていく。さすがアイゼンだと適当に足を置いただけで滑らないので楽であった。夏道はほぼ完全に埋もれているが、まれに狭い範囲で地面が出ている箇所があり、ちゃんとそこを通過していたので正確に夏ルートを辿れたらしい。まあ、こういう場面に慣れれば木の間隔でルートを判別できるようになるが。そういえば古い足跡はいつの間にか消えており、引き返したのか、それとも適当に斜面を上がっていったのか。まあ、藪さえ埋もれていれば夏ルートを歩く義理は無いが。

稜線に合流。標識あり なだらかな尾根を岩菅山へ向かう

 稜線に出ると分岐の案内が立っていたが、なだらかな尾根上は完全に雪に覆われて夏道の形跡は全くわからず、別ルートからここにやってきてこれを下るとなると夏道をたどるのはほとんど不可能だろう。それよりも素直に尾根上を歩いた方がルートを失わなくて安心できると思うが、尾根上も雪に埋もれているかは不明だ。主稜線上は目印があり、今までよりも人の気配が濃いが新しい足跡は雪の上にはなかった。これより先は邪魔なのでアイゼンはここで脱ぐ。

視界が開けた低い笹の尾根に変貌 登ってきた尾根
岩菅山南から見た志賀高原(クリックで拡大)

 なだらかな稜線から岩菅山への本格的な登りが始まると雪が完全に消えて広範囲に地面が出ている。南斜面なので当然かもしれない。ようやく樹林帯を抜けて視界が開け、浅間山から四阿山、そして志賀高原の山々、そして野反湖周辺の山々が目に入る。白砂山は稜線に引っかかった雲の中らしいが、そのうちに雲がとれるだろうか。高度を上げるとどっしりとした佐武流山も見えてきた。樹林の下に白いものが見えるので斜面にはまだ残雪があるようだが、稜線上は藪が出ているだろうか。今年は雪が少ないからなぁ。忠治郎山、上ノ倉山は黒々としており、雪の白さは見えなかった。

岩菅山山頂 岩菅山から見た裏岩菅山
岩菅山避難小屋 岩菅山から見た猿面峰
岩菅山から見た日光連山
岩菅山から見た東の展望(クリックで拡大)

 尾根を登り切って傾斜が緩むと、笹原も消えて広く地面が出た岩菅山山頂に到着。久しぶりの山頂だが前回の記憶がない。たぶん景色が見えなくて印象に残らなかったのだろう。山頂直下の避難小屋は半分雪に埋もれているが南側のドアはどうにか出入り可能そうだ。これも急速に雪が解けるだろう。これから向かう裏岩菅山の方が標高は高いのでよく見えている。稜線は半分くらい夏道が出ているようだ。西に目を向けると後立山の山並みがかろうじて見えている。大町から小谷村にかけての谷は一面の雲海に覆われ、上空は雲に覆われていて、上下の雲の隙間に山並みが見えている。背景が青空ではなく白い雲なので残雪の稜線との見分けがつきにくく、コントラストが悪くて山の形が見えづらくて同定が困難だった。一段と白いのが立山だとは分かり、おそらく剣岳も見えていると思われたが五竜と鹿島槍との区別がつかなかった。稜線と雲の境がわからないので鹿島槍の双耳峰が判別できなかったのが痛かった。鹿島槍のあの形は遠くからもよく見えて山岳同定の起点となって芋づる式に判別できるのだが。

岩菅山を振り返る こちらは裏岩菅山
岩菅山が遠ざかる 奥の盛り上がりが裏岩菅山

 まだ休むほどの疲労ではないので写真撮影後に裏岩菅山向けて出発する。小さなアップダウンがあるが、概ねなだらかな稜線が続き、しかも森林限界を超えて展望がよく、晴れていれば気持ちいい尾根と言えよう。雪庇の残骸が残って夏道を塞ぐ場所は雪庇上を歩くが、これもよく締まって全く沈まない。下りは夏道を歩くよりも残雪上を滑った方が楽だった。

裏岩菅山山頂 裏岩菅山山頂から見た烏帽子岳
裏岩菅山北直下から見たニノコブ、烏帽子岳
裏岩菅山から見た上越国境方面(クリックで拡大)
裏岩菅山から見た北ア〜後立山(クリックで拡大)

 裏岩菅山の登りにかかると低いシラビソ樹林となり、傾斜が緩むと再び低い笹原の森林限界となって展望が開ける。ここから山頂までは緩やかな残雪帯で、歩きやすいところを適当に歩いて、最後にちょっと突き上げた場所が裏岩菅山だった。平らな石が積み重なったところに石碑があり、ここも森林限界を超えて樹木は皆無なので好展望地だ。ここまでくると烏帽子岳が近い。北側は尾根が同じような高さで伸びているのでニノコブが見えないが、場所を移して眺めるとなだらかな山頂付近も残雪が見られ、藪漕ぎ皆無で行けそうだ。ここで少々休憩し、空身でニノコブを往復することにする。

鞍部からニノコブへなだらかに登る 南側の2180m肩

 概ねなだらかな稜線だが一部傾斜が急なところもあり、帰りの登り返しを考えるとちょっとブルーになるが、標高差は少ないのでトータルの体力消耗は少ないだろう。下りは靴を滑らせてピッケルでバランスを取りつつグリセードで下れるのである程度の傾斜がある方が楽である。傾斜が緩むと稜線全体が残雪に覆われ、どこでも歩ける状態で夏道の位置は不明となるが、歩きやすいところを適当に歩けばいい。少しだけ笹が出始めたところもあるが、まだ1週間くらいは大丈夫かな。

ニノコブ山頂 ニノコブから見た烏帽子岳

 夏道はニノコブを東から巻いてしまうが、今は雪に埋もれてどこで巻き始めるのか全くわからない。残雪を伝わってシラビソが点在する稜線をまっすぐ進み、2180m等高線がある南ピーク直下で笹が出てきたところで左に迂回して再び稜線に出る。地形図では2180m等高線が通るピークは南北2カ所にありそうな雰囲気だが、現場に行くと南は肩で本当のピークは北側にある。肩のわずかに北側を超えて稜線東側に出ると再び豊富な残雪帯になり、雪を伝わって登り切ったところがニノコブ山頂だった。確かここはDJFも登っているはずだが目印の類は全く見られなかった。山頂付近の積雪は多くても50cmくらいしかないので雪に埋もれているとは思えず、落下したか付けなかったかのどちらかだろう。せっかくなので赤テープを巻いておく。ここから見る烏帽子岳の稜線は険しそうだが、実際歩いたときには危険はなかったな。今の時期は稜線上の雪は消えているだろう。

ニノコブ南のシラビソ樹林 裏岩菅山へと登り返す

 同じルートで裏岩菅山に戻るが人間の姿は無かった。まだ岩菅山は遠いので山頂に人がいるのか肉眼では判別できないが、時間的には登ってきていてもいい頃合いだろう。ザックを背負って下山開始しようとしたら、登ってきたときよりも後立山が少しはマシに見えるようになっていたのでデジカメの光学ズームを最大にして再びパノラマ写真を撮影。それでもやっぱり肉眼では鹿島槍がどれだか判別できなかった(たぶんあれだろうという予想はできたが)。帰ってからPCで写真を見るとはっきりと区別できる程度に写っており、さすが光学6倍の拡大は肉眼よりもでかい。でもデジカメの液晶画面のコントラストはイマイチで、肉眼で見るよりも画面で見えるコントラストは低く、元々コントラストが低いものを撮影する場合は画面枠内に入っているのか判別が難しい。

岩菅山から下山。南向きの尾根は全く雪がない 2100m峰は登らない
2072m鞍部から右にトラバース開始 こんな感じの斜面が続く

 岩菅山に戻っても人の姿は見えず、避難小屋入口付近にも足跡はなかった。本日のお客は私一人で貸しきりだったようだ(と思った)。尾根を下って緩斜面帯の残雪に入り一ノ瀬方面分岐に至るが、あのトラバースを下りで行くのは登り以上に足の一部分の筋肉に負担がかかりそうなので、もっと尾根直上に近い部分まで進んでからトラバースすることにした。これなら横移動よりも縦移動の色合いが濃くなり、横移動するときは緩斜面を選んで急なところは下りに使えば楽に歩けるだろう。微小ピークを越えて2072m小鞍部から右に進路を変えて斜面を歩き始めるが、夏道と同様に全面残雪に覆われて適当に歩くことができ、歩きやすいところを拾って左に下にと進んでいく。そのうちに自分の足跡を発見し、無事に夏道に合流したことが分かった。

 あとは気楽に下るだけだが、土が出た部分に真新しく見えるアイゼンの歯の跡がくっきりと残っていた。あまりにも鮮明で今日付けられたような気がするので、帰りの残雪上をよ〜く見てみると私の他にもう1人新しい足跡があった。岩菅山の往復か、それとも私がニノコブを往復している間に裏岩菅山まで足を伸ばしたのだろうか。今まで前方には全く姿は見えなかったので、間隔はかなり空いていて追いつくことはないだろうな。

 登山口に降りて緩い上り坂の舗装道路をテクテク歩いてゲートへ到着。車が1台増えているが主はいなかった。まさかこの人の足跡か? でもどこにいるのだろうか。空の雲は少し厚くなってきたがまだ明るく雨が降る気配は無かった。

 帰りは渋峠を越えて草津方面に下って関越道に出てもいいのだが、高速料金は\1000なので時間優先で行きと同じく信州中野ICで乗ることにして中野方面に下り、湯田中温泉で入浴、いつのまにか無人化されており、駅の自動改札機のようなゲートに\500を入れて中に入ると貸し切りだった。


所要時間
5:08ゲート−−5:19岩菅山登山口−−5:27水路沿いの水平道−−5:44アライタ沢−−6:54稜線−−7:25岩菅山−−8:05裏岩菅山8:24−−8:44ニノコブ8:49−−9:23裏岩菅山9:37−−10:14岩菅山10:19−−10:34一ノ瀬分岐−−11:21アライタ沢−−11:44岩菅山登山口−−11:58ゲート

 

 

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